槍ヶ岳東稜初登攀   


槍ヶ岳 東稜
昭和33年3月21日〜25日
L南、渡辺

我々がこの尾根を眺め、興味あるルートになるのではないかと考えたのは、昨年5月の北鎌尾根をたどった際 であった。槍ケ岳頂上より天井沢へ、一直線に落ち込んでいる急峻な岩稜を望んで、大いに登行欲を唆られた。 しかし、この尾根は北鎌尾根、東鎌尾根に挾まれ、両鎌尾根があまりにもポピュラーなためか全く忘れられ、文 献その他を調べたが調査が充分でないためか記録がなく、正確な名称すら知り得なかった。

槍ケ岳へ直接出るルー トとして、あれだけ顕著な尾根が今まで未登撃とは考えられなかったが、全く記録のない事は大きな魅力であっ た。この様な気持を持ちながら、夏山を終え初冬の冬山偵察の折、東鎌尾根より詳細に観察の結果、取り付きまでの雪崩の危険を除げば、我々のカでも登撃可能の自信を得 ることが出来た。なおこの尾根の下半分は這松に被われているため、積雪期を対象に計画をたて、最終的には休暇の都合上 、ラッシュで登ることになった。

幸い連日好天に恵まれ、2回のビパークによって登箏を終える事が出来た。帰京後も各方面の先輩や山友達に、この尾根の名称 その他について、おたずねしたがはっきりした名前がわからないので、便宜上、槍ケ岳東稜と呼ばせてもらう事にした。

3月21日(晴)
葛温泉8:00 第4発電所11:00〜12:00 湯俣17:30
時間節約のため、葛温泉までハイヤーを飛ばす。雪は思ったよりも硬く、持って来たスキーの重さが恨めしい。 遂に第4発電所でこの無用の長物を置いて行く事に、二人の意見が一致した。予定は千天の出合までであったが、湯俣に着いたのは七時に近かったので、今日は取入口の小屋に泊めてもらう事にした。

3月22日(高曇)
湯俣4:00 千天出合10:00 日大小屋11:30〜12:30 ビバーク地15:15
4時、ヘッドライトの灯を頼りに小屋を出発。湯俣よりのゴルジュは通過が困難なので、取入口の少し下で、高瀬川に合流する沢に入る。約40分で正面に闇の中でも、黒々とした壁が立ちはだかってくる。右手の尾根にルートを求め、この尾根の鞍部より中東沢に下った。この辺りは狭いゴルジュで、いたる所にデブリが重なり、 あまり気持ちの良い所ではない。

20分も下ると高瀬川に出る。ここからは殆ど右岸沿いに千天の出合に達する。北鎌尾根の末端を過ぎると、独標の東面が素晴らしい迫力をもってのしかかってくる。北鎌から出ている小 尾根の裾を廻ると、目指す東稜が現われて来た。南の目も食い入る様にルートを追っている。「大丈夫だ。登れる」今まで胸の中にもやもやしていた不安に替って、未知の岩稜を登るという喜びが湧き上がって来た。

日大小屋 にて昼食の後、いよいよ雪崩の危険地帯に入る。本谷から出たものか、巾50mに及ぶ大きなやつが、小屋のす ぐ上まで押し出していた。殆ど平らなこの辺りまでくる雪崩の跡をまざまざと見せられ、とても本谷通し取り付 きまで行く気になれず、東鎌に上がっている尾根に取り付き、途中より東稜の末端へトラバースする事にした。この辺りはワカンの爪が快適にきく。東稜の取り付きと同高度の所で、少し時間は早いがツェルトを被る。

3月23日(快晴)
ビバーク地6:40 東稜取付点8:00 第1岩峰10:00 第3岩峰14:00 ピナクルー16:30 ビバーク地19:00
ツエルトから顔を出すと今日は決晴。絶好の登撃日和に勇躍出発する。やがて槍の穂先がバラ色に染まり、次第に北鎌、東鎌と明かるくなって来た。取り付きまで大き くトラバ,ースするが、次第に雪は深くなり、腰までのラッセルを強いられる。陽の当らぬうちに取り付きまでと気はせくが、一向にピッチは上がらない。

傾斜が強くなるにつれ気温も上がって来た。一瞬昨日下で見た雪崩の跡が脳裏をかすめる。おそいかかる恐怖を払い除けるように夢中でラッセルをする。8時、東稜の末端に達しやっと雪崩の恐れから解放され、一時に緊張がゆるんだ。この頃 昨日湯俣のラジオが伝えていた、上智大の燕岳稜線の遭難捜査であろうか、ヘリコプターが大天井の辺りを低く飛んでいたが、やがて大町の方へ消えていった。

アイゼンバンドを締め直し、1ピッチ目にかかる。右側の切れ落ちた雪稜約20mで、殆ど垂直な雪壁に達 し、これを灌木を頼りに登り切ると、急なスノーリッジになっている。表面のクラストは我々の体重を支えてはくれず、3歩登って2歩ずり落ちるといったラッセルが続く。この雪の斜面はいくら登っても終わらず、傾斜はますます強くなり、両手のピッケル、アイスバイルを交互に使って体をすり上げて行く。

この体力を消耗する雪稜 は、約100mで最初の岩峰によって断ち切られていた。 ここでアンザイレンし、まず基部にハーケンを1本打ち込み、トップの南は上に消えていった。この頃東鎌を登るパーティーから声援が飛んできた。見ると3人4パーティーが我々と同高度の所を登っている。

第1峰の上は、両側の切れ落ちたスノーリッジが第2岩峰まで続いている。第2岩峰の正面は手が付けられず、やや右側に廻り込み、確実にきいたハーケンに励まされ登り切る。上に出ると、そこに現われた見事なスノーリッジに、思わず「あっ」 と息をつめてしまった。アイゼンで踏み破るのが惜しい様な素晴らしい、このリッジを2ビッチで渡り切り、2人腰を降せる所を見付け昼食にする。

この辺りからやや傾斜の落ちた雪面を4〜50mも登ると、下からもはっきりと指摘出来、このルートのキーポイントになると思 われた2つの岩峰を、3角形の雪で結んでいる壁に達した。すでに太陽は槍の穂先の向うに隠れ、急に寒さを感じ る。この下の壁は正面に浅いクラック、右はフェースに なっており、クラックにはチョックストーンがつまって いる。

右のフェースを南がトップでグィと吊り上げる。 ガリガリと岩を噛むアイゼンの音が不気味だ。上部の雪面への出口は出張った岩に押えられ、直上は不可能なので、南は左のクラックの落□一へ出ようと、不安定な姿勢で出口の蒼氷にアイスバイルを振っている。下でジッヘルする頭上には、しばしの間、氷片の雨が降って来たが、 やがて氷に食い込むアイスハーケンの音、続いてもう一 本、ザイルはグィと伸びる。

次の壁の正面は手が出ず、 氷に貯ざされた左のガリー状を、カッティングにより登 り切り、岩稜に出た。この辺りはもう大分高度も上り北 鎌、東鎌も目と鼻の先である。さき程の東鎌のパーティ はもう頂上にわり、今度は頭の上から盛んに声援がかかる。ここから槍の穂先の基部までは、カチンカチンに凍った急斜面で、疲れた腕を振ってのカッティングは辛い。

基部に着く頃は夕暮も迫り、それに風も出てきた。遠くからもわかる顕著なピナクルを、左から捲きこんでなお もザイルを伸ばし、36m一杯のピッチで黒々とした壁 の下に出た。直登は困難で左のクラック状にルートを求 めた。すでに暮色は濃くなり、なんとか今日中に頂上へ と気は焦るが、硬く凍りついた雪面に足場を刻み、氷に とざされたホールドを掘り出す仕事は、遅々として進ま ない。

クラックの出口にアイスハーケンを打ち込み、一寸したテラスに出る。急な雪面を10mも登ると雪をつ けていない、垂直なフェースに行く手を断たれた。右側へ5mもトラバースすると、チムニーが一本入っているので、入口にハーケンを打ち、トップはグングン登り出し た。やがて悪い所に出合ったらしく、ザイルはピタリと止まり伸びない。たまりかねて「悪いか」と怒鳴ると、澄んだハーケンの音が闇を裂いて返って来た。

又ザイルが伸びる。「よし来い」の声に登り出すと、暗くてさっ ぱりホールドもスタンスも見えない。闇をすかして雪面を見ると、トップは10本爪のアイゼンの能力をフルに使ったらしく、カッティングの跡はなく、4本の爪跡だ けが着いていた。ラストはザイルの付いている気安さか ら、強引にハーケンまで上る。このハーケンは暗闇に手 探りで打ったらしいが良く利いていた。ここで頭上は塞 がり、左のカンテヘ、ハーケンにぶら下る様にしてトラ バースした。

後2〜3ピッチで頂上だが、これ以上の行動は無理なので、ビバークの場所を探すと、現在我々の居るカンテの5〜6m下に巾1mに満たない雪棚がある ので、今日はそこに泊まる事になった。ハーケン工作を終わり、ツェルトを被った時は、すでに八時を過ぎていた。

3月24日(快晴)
ビバーク地8:00 槍ケ岳頂上9:00〜9:15 肩9:25〜10:30 槍沢小屋12:00 横尾14:00〜15:00 上高地19:00
四辺が明かるくなったので顔を出すと、丁度御来光で、 今日もまた快晴らしい。陽が当ってくるとツエルトの中は暖かくなり、なかなか腰が上がらない。再び昨夜のカンテに戻ったが、直上は困難なので右側のルンゼ状へ逃げ る。出口に一本打ち込んで乗越した所は、北鎌尾根のル ートであった。今までハーケン一本無かった尾根を登っ て来た我々は、バンド状の所に凍り付いているケルンを見て、登攀の終わったことを知った。

最後のルンゼ状を登って頂上の祠の後へ飛び出し、東稜完登の握手を安した。 打ち寄せる山波を心ゆくまで眺め、最後に登って来た東稜をもう一度、覗き込んで下山の途に着いた。夏道は 所々鎖も出ており、10分位で肩ノ小屋に着き、残りの食料を整理し、アイゼンの快適にきく槍沢を下る。槍沢 を下るうちに、頂上で感じなかった喜びが、胸に湧き上がって来た。上高地に着く頃は夕暮に近く、ジャンタルム から奥穂にかけての稜線が、真紅に染まっていた。

3月25日(晴)
上高地10:00 坂巻12:30〜13:00 沢渡14:00
久し振りに暖かい布団でぐっすり眠り、出発は大分遅 くなる。昨夜ホテルで一緒になった鵬翔山岳会の中野氏 と共に、のんびりと下山する。大正池より河原沿いに下 り、釜トンネルを出ると、急に雪は少なくなり、所々雪の消えた道端には蕗のとうが芽を出していた。
(渡辺浩志・雲稜29号)