一の倉沢滝沢ルンゼ状スラブ   


一ノ倉沢滝沢ルンゼ状スラブ

昭和38年6月30日(晴のち雨)

L穂苅、吉川
取付点4:50〜5:25Y字河原7:43〜8:20 洞穴9:40〜10:00第ニスラブ上13:05〜13:25 ドーム基部14:25〜14:55ドームの頭17:00 肩ノ小屋17:55〜18:30土合20:27

 1日での完登は困難に思われたので、前日の夕方、会社が終わるとすぐに上野駅にかけつけ、急行にとび乗り、水上駅からタクシーで西黒沢の出合まで入った。23時に滝沢リッジの取付点の雪渓の上で、ツエルトを被りビバークに入る。空は晴れ上がり降るような星空で眠るには惜しいほどだ。吉川と背中合せでウトウトするが、雪渓からの冷気と湿気で熟睡はできない。

 いつしか夜は白毛門より朝日岳への、稜線からヴェールをぬぎはじめる。ふと見下ろす眼下の出合附近には、上野発22時の列車で出発したパーティのライトが点滅している。アスパラガス、乾燥パインでの簡単な朝食を済ませる。この時、まだ薄暗い衝立岩からコールがかかってくる。見ると洞穴末端の灌木テラスでビバーク中のパーティからで、私達も彼らの健闘を祈ってコールを返す。

 午前4時、私達も急な本谷の雪渓に一歩を踏み出した。表面のしまった急な雪面はすべり易く、石ころを拾って、ステップを刻む始末である。ずたずたに裂け、今にも崩れそうなラントクルフトを、ぬうようにして本谷のスラブに下りる。取り付きのバンドで後から来た、登歩渓流会の加藤きんのパーティと談笑を交わし、一足先きに登攀にかかった。

 ルートはつい先日、6月16日に足利かもしか山岳会がトレースした「滝沢下部ダイレクト・かもしかルート」から取り付く。本谷スラブ上の細いバンドを左へ10mトラバースし、さらにカンテを10mほど登ったスタンスで、40mのナイロンとテトロンの2本のザイルでアンザイレンした。このとき南稜テラスにいる会員の雨宮、杉本から盛んに声援がかかってきた。トップに立った吉川が第一のオーバーハングの乗越しにかかっている時、すぐ下から境町山岳会の小暮きんが声をかけてきた。「第ニスラブを登りたいが待たされそうだから、写真でも撮って帰る」とのことだった。

 およそ1時間で大ハング下まで登った吉川から声がかかる。いよいよ自分の番である。ルートはカンテを5mほど吊り上げ、次に右へ3mトラバースし、その上を5mほど登るとクラックにそって、7mほどハーケンが連打されている。次から次ヘアブミをセットして登ると、50pほどの第一ハングとなり、出口はノッペリとしている。おまけに何も打ってないので、このルートでのキーポイントとなっている。吉川はアブミの最上段に乗り、左上の小凸岩に、アブミを投げて、逆に引っかけ乗越したそうで、自分はザイルアブミを作って乗越した。

 この上の1人用のスタンスでピッチを継ぎ、第ニピッチは大ハング帯の下の外傾した一枚岩に沿って、右上にとボルトによるトラバースが続いた。ぬるぬるして感じの悪い所を、アブミのかけ替えで10mも登ると落口で、あとは乾いた快適な岩をバランスで10mも登れば緩傾斜となり、かもしかルートは終わりであった。第3ピッチも吉川がそのままザイルを伸ばし、乾いたスラブを40m登って着いた広河原状の大テラス(Y字河原)で大休止とした。

 さっそく吉川持参の握り飯をかじり、ソーダーラップで乾いた咽喉をうるおし、ゆっくりと未知のルートヘの腹ごしらえをした。煙草に火をつけ、はやる心で4囲を見渡すと、眼前には鳥帽子奥壁が大きく迫り、その各ルートには既に数パーティが蟻のように取り付いていた。南稜テラスからは鳥帽子奥壁に挑む杉本、加藤ゴンベからのコールがとどき、まだブロックのある本谷バンドでは多数の人々が、登攀前の1時を憩っていた。衝立岩のパーティもラストが洞穴に入ろうとしており、ここからは核心部の各ルートの動きが手にとるように眺められた。

 我々はかねての偵察通り、ルンゼ状スラブの名称の由来である、左から入る細いチムニー状のルンゼをル
ートにとる。ノーザイルでこの狭いルンゼに入った。30mほど行くとF17mのチムニー滝となり、この右手のスラブがルンゼ状スラブの本流というわけだ。ここでザイルを付け、トップ穂苅で左側の少し手前のカンテを登り、ハーケンを1本打ってから、右の落口へと廻り込んだ。続くF210mのチムニー滝は、そのまま滝身をつっぱって登ったが、少々悪かった。この上を10mも登るとザイルがいっぱいとなり、ハーケンを打って吉川を迎えたが、ルンゼ内はまだ誰も登ったことがないので、ザイルをたぐる度に落石があった。

 次のピッチはつるべで吉川がザイルを伸ばしたが、40m登っても適当なジツヘルポイントがなく、そんなに悪くもないので、2人一緒に登り始めた。途中5mほどのチムニー滝が2個あるが、問題となるような代物ではなく、上部は一面の草付きとなり、Y字河原よりおよそ120mほどで、細い灌木の生えたテラスに着いた。テラスのすぐ上は滝沢リッジの側壁が黒くおおいかぶさり、その下には顕著な岩峰が屹立し、その基部にはチムニーが斜めに入り、洞穴となっていた。またテラスの右手は草付きのスラブとなり、左手にはほぼ水平に笹の生えたバンドが走り、容易に滝沢リッジに逃げられそうにも見えた。

 ここで蜜柑の缶詰を開け、洞穴に心ばかりのケルンを積んだ後、トップ穂苅で登塁を続ける。最初はチムニーの左壁を背にバックアンドフットで登ったが、チムニーをそのまま直上すると滝沢リッジ、の側壁にぶつかってしまうので、すぐに右壁に移り、細かいホールドによって右上のリッジに出た。ここは小ピナクルのてっぺんで、ちょっとしたテラスをなし、右隣りの草付きスラブヘは、クラックを1mほどで下り立つことができた。ここでハーケンを打ち吉川を迎えたが、たった20mのピッチなのにザイルの出が非常に悪かった。この頃から国境稜線はガスにかくれ、4ルンゼをさかんにガスが下降し始めた。

  次のピッチは草付きスラブを斜め右上に横断し、ルンゼ状スラブの本流との中間リッジに出て、灌木で吉川を迎えた。ここでザイルを解き、30mばかり灌木の中を登ってから、右のルンゼ状スラブの本流へとトラバースしたが、私たちの下降地点以外からだと、懸垂下降をしないとスラブへは移れない。下り立った地点は畳『枚ほどのテラスで、すぐ上は60mのスラブ滝だ。上部は黒い岩が大きくハングしていた。スラブ内は樋状をなし、左手には滝沢リッジの黒い側壁が迫り、右手は第ニスラブとの中間リッジが、草の生えた急な側壁を見せていた。われわれが第一のスラブと命名したこのスラブは、一見して苦戦が予想され、事実ルンゼ状スラブの最悪ピッチであった。

 テラスにハーケンを2本利かせ、バランスのよい吉川がトップで10時30分登攀を開始した。無言のうちに目と目で厚い信頼の心を交わした後、トップは微かに水の流れるスラブを巧みなバランスで登って行く。10mほどでハーケンを打ち、今度はやや右斜めに、細かい凹状の所を登ってゆくが、非常に悪いらしく、ジリッ、ジリッとザイルが伸びてゆく。しきりとガスの吹き下ろす中を、1時間ほどで「乗越したぜ!!」という声がかえってきた。見上げると第3スラブとの中間リッジの急な側壁を登りきり、リッジの上の灌木でビレーをとっている。いよいよ自分の番だ。

 ニノ沢本谷を思わすスラブを登ると、ザイルは右の微かに凹状を呈する壁からリッジヘと伸びていて、ホールドはたいへんに細かく、よくもこんな所を登ったものだと感心させられた。20分程で吉川の所につき、そのままつるべでザイルを伸ばした。ルートは今にもはがれそうな、ぶよぶよな苔の生えた急なリッジで25mも登ると、草付きのはがれた高さ1m、幅7mばかりの露岩に着く。ここにハーケンを1本打ち、左のルンゼ状スラブヘ下降気味にトラバースすると、草付きのスラブが、第二の60mほどのスラブ滝を構成している。上部は白っぽいもろそうな岩で、やはりハングしていた。

 しかし第一のスラブほどの威圧感はなく、われわれは忠実にスラブを登ることにした。まず吉川に露岩の所まで登ってジッヘルを頼み、次に穂苅がスラブをザイル一ぱいまで登ってから、吉川をスラブ内に迎えた。やがて小雨がポツポツと降り出し、フィナーレのもろい岩を注意しながら登ると、ハングにぶつかった。ここには灌木が生え・もろい右壁をだましだまし10mも登ると、第三スラブとの中間リッジ寄りに出た。太いネズコの木でビレーをとり、吉川を迎えた。

 雨はついに本降りとなり、2人一緒になる頃には、水もしたたる良い男という始末であった。この地点は滝沢リッジのおむすび岩とほぼ同高度で、あとは草付きが滝沢リッジのP3上まで、およそ200mほど続き、ルンゼ状スラブは終わりである。ザイルを解きセーターを着込み、2〜30pも伸びた草付きの右側を黙々と登ると、30分ほどでP3の上に出た。

 ルンゼ状スラブは足下の霧の中で、静かに私たちを見上げているが、国境稜線へはまだドームの要塞を越えねばならない。灌木をこぎ、草付きを登って辿りついたドームの黒い岩壁には、霧に濡れたエーデルワイスが密かに咲き揃い、ずぶ濡れの私たちをそっとなぐさめてくれた。ドームは先週西岡と滝沢リッジを登った際にトレースしており、ジグザグの上部ルートもまだ記憶に新しく、全ピッチを吉川トップでおよそ2時間ほどで通過することが出来た。

 肩ノ小屋着17時55分、取り付いてからおよそ13時間半かかった勘定になる。小屋番の小暮さんから夕飯をご馳走になり、西黒尾根を下山にかかる頃は、長い夏の1日も暮れなずみ、去来する霧の中を、鳥帽子岩での骨折のあとが痛み出した足をひきずりながら、ただひたすらに下り続けた。ようやくマチガ沢の出合いにつく頃には、日はとっぷりと暮れ、大つぶの雨が疲れた体を容赦なく濡らした。汗でほてった体にはかえって心地よく、思い出したようにつけたライトの淡い光の中を、たいした感激もなく、たんたんたる足どりで土合へと急いだ。



(穂苅勲夫・山と渓谷296号)