幕岩Cフェース正面壁   


幕岩Cフェース正面壁

○試登

昭和35年5月16日〜17日
L篠崎、吉村、石橋
右ルンゼより7m程左から取り付く。第1のオーバーハングを越す。篠崎下山。
2日目は垂壁を登り、第二のオーバーハング下まで達する。

6月3日(曇のち雨)
L藤、吉村、石橋
第二のオーバーハング下を左にトラバースする為にボルト2本を打っ。雷とともにみぞれとなり下降する。

6月26日
L南、石橋
第ニハングの下を左にトラバースし、そこから上に登る。テラスの上の3人位集まれるバンドに達する。

10月2日〜3日
L南、篠崎、石橋
前回登った3人集まれるバンドから、上のテラスに達する。
翌日、更に、ボルト連打で上のテラスまでのルート工作を行なう。(石橋侯男).


○登攀

昭和36年5月14日〜16日
L南、藤、吉村、石橋、和田(サポート)

5月14日
 南をリーダーにしてCフェースの登攀に出発した。パーティはAとBの2班にわけ、Aは私と吉村で13日夜行で出発、Bは南と石橋で14日夜行で出発、これに和田をサポートにした。半年ぶりのアタックである。今年は残雪が昨年のいまごろと比較して、逆に少ないような感じだ。二俣を後にしてオジカ沢からCルンゼに入ると、途中雪渓が1ヵ所切れており、その上は急斜面になる。

 基部で食事をしていると、2パーティがふつうのルートにとりついていった。われわれは荷が多いので3個に分け、1個は連絡用ザィルで上げることにする。

 7時ごろ、トップ吉村にて登攀を開始した。ルートは、フェースの一番右側にルンゼが1本入っており、その左のカンテ状を登るが、手足のホールドは外傾していて悪く、バランスをとって登る。1ピッチ30mほど登ると、第一ハングの下に出る。ここまでは36mザイルのシングルと連絡用ザイルで登るが、第一ハングよりドッペルにする。ハングの乗越しはハーケンの連打と、アブミによる吊り上げの連続で高度を上げる。ハング上へ5、6mばかり登り、トップ吉村に右側に出てもらい、私が吉村の左に出てトップを交代する。 3ピッチ目は左に少々トラバースしてから直上するのであるが、このトラバースはバランスクライミングである。そして直上して出たところに、ひとりがすわれるくらいの小さなバンドが2つあり、快適な確保場所で、ビバーク・バンドにもなる。ここで連絡用ザイルで荷上げしているとき、ザックを落としてしまう。中身はツエルト、ラジウス、ボルトの錐、それに食料である。本来ならここで登攀を中止して、ザックを拾ってから登りかえすところであるが、明日は南、石橋が登ってくるので、その時に拾ってきてもらうこと
にする。

 4ピッチ目はやはりハーケンの連打で、16mばかり登ると、ここにも1人ぐらいすわれるテラスがあった。ここまでは前回の試登のときに達していたところで、割にらくに登ることができた。2人が集結したのが正午ごろである。いよいよこれから先は未知のルート。楽しみにしていたところだ。左斜め上のルンゼを目ざして登るが完全なバランスクライミングで、5、6m、トラバースし、そこで1本ボルトを打ち込み、なおも左上へとトラバースぎみに登る。そしてルンゼの5mくらい手前のところで、ハーケンを2本打って左のルンゼに入る。しかしここが悪く、手がかり足がかりともに不安定である。強引にルンゼに入りこむと、驚いたことに、ルンゼに入ればあとは比較的簡単に登れると予想していたのであるが、ますます悪くなる一方である。下からルンゼのように見えたのは、実際にはクーロアール状のものであり、少しかぶり気味であった。ここでジッヘルをするが、ハーケンでは不安なのでボルトを1本使用する。

 それより上は非常に悪く、クーロアールの右側をハーケン5本使って乗越し、クーロァールの中を登ろうと思ううが非常に悪くて全然手をつけられない。あきらめて真上にボルトを打ちこむことにし、1本打ちこんだところで5時半になってしまう。

 上部にビバークするようなバンドはないかと懸命に探すが、まったく見あたらない。やむなくクーロァールの入口まで下り、ここでビバークをする。ビバークとはいえ、すわるところがないので、1人は片方の足しか乗せられない足場で一夜をすごす。非常に条件の悪い場所であった。遠くに谷川温泉の灯が、去来するガスの合間にしきりと明滅していた。

5月15日(晴)
 うとうとしていると二俣にライトの明りが見えた。時計を見ると、3時。南、石橋のパーティにしては早すぎると思ったが、こちらもライトを2、3回点滅きせると、下も応答してくる。しかしようすからして南パーティではないらしい。多分二俣に天幕を張った人たちであろう、ということにして信号を止めた。ところが薄明るくなりはじめた5時ごろ、いきなりオジカの雪渓から"ウンリョー"のコールが上がってきた。見るとCルンゼの雪渓にむかって3人が登りはじめている。

 南、石橋、和田たちである。"ガンバレ"の声もかかる。1人でも仲間が応援に来てくれることは登っているわれわれにとり、まったくありがたいことであった。Cルンゼの中間の雪渓の切れたところで、落としたザックを拾ってもらい、必要なもの以外は、和田に持ち帰ってもらう。6時ごろ、われわれも行動を開始する。昨日のところまで私がトップで登り、そこから吉村とトップを交代する。しばらくボルトの穴をあけているうちに、チャリーンという音がしたと思うと、ボルトの錐が宙を飛んで視界から消えてしまった。他の錐は全部昨日落としたザックの中に入れてあるので、やむなく南たちが登って来るのを待つことにする。しかしトップはアブミに乗ったまま、ラストは片足をハーケンの足場にかけたままで、朝から12時ごろまで、まったく同じ姿勢でいたため、しびれて感覚がなくなってしまったが、南、石橋は写真などを撮りながらのんびりしたものである。やっと12時すぎ連絡用ザイルで南から錐をもらい、行動を開始する。

 このボルト3本にハーケン5本くらいを使用して、オーバーハングを越えるが、乗越しの部分でバランスを要求され非常にむずかしく、強引に乗越したようである。乗越した吉村からの「3人ぐらい立てる快適なテラス」という声に、やっとらくになれるところにありついたとばかり、心を励まして登ってみると、テラスどころかビレーをしてやっと2人が立てるくらいの、外傾した悪い場所なのには驚いた。ここまで、ルンゼの入口から16mくらいであろうか。これから上は完全なクーロアールであり、その右側が壁になっている。この壁に吉村、私が各々アタックしたが外傾しており、またリスが全然ないので、あきらめてクーロアール内の右側を私がハーケン8本を使って7mばかり高度を上げる。しかし、この上はハーケンが打てず、バランスクラィミングでジワジワと登る。意外に悪く、10m登ったところからクーロアールの右外側にいったん出て3mほど登り、またクーロァールに入ってザイルが18mいっぱいにのびたところで、灌木のホールドと、草付きの足場に出る。ここで慎重にボルトを1本打ちこむ。

 この灌木より左へ3mくらいトラバースし、草付きの快適なバンドでジッヘルする。
4人がこのバンドに集まったのは8時ごろであった。バンドは幅が30pくらい、4人が足をのばしてちょうどいっぱいぐらいのビバーク・サイトであった。

5月16日(晴)
 今日も好天である。ビバーク・サイトの上に洞穴があり、洞穴の左側壁を登るか、洞穴の右のもろそうなところを登るかの2つがルートとして考えられたが、右のもろいルートは危なそうなので、左の側壁を行くことに意見が一致する。3時半、トップを吉村にまかせ、下では3人で豪勢なジッヘル陣を敷く。ルートは意外に悪く、どうも上へ進めない。いったん下って洞穴右側のもろそうなルートにとりついてみると、ここは意外にもハーケンがよくきき、吉村は1人で登攀を楽しんでいるようであった。ここが一番高度感の出るところであろう。出たところが広いテラスとなっているが、外傾しているため、不安定だ。左上に3mほど登ると2人が立てる小さな灌木のあるテラスになる。

 この上は急な草付き65mほどで登攀終了点となった。3ツ道具、ザイル、その他をザックに納め完登のよろこびにひたる。しかし、ただ一つ残念なことは、このCフェース試登に2度も参加した篠崎が、勤務の都合で参加できなかったことである。オジカノ頭を経て中ゴー尾根の下降点でサポートの和田と会い、一路下山を急ぐ。あの苦しいビバークの夜、はるかに灯を望んだ谷川温泉には、今日は祝盃が待っているのである。

(藤芳泰・山と渓谷269号)