八ヶ岳大同心正面壁   


  昭和35年3月30目〜4月3日

  登攀隊 L南、石橋
  サポート隊 計良幸作(札幌山岳会)

八ケ岳連峰の横岳西面に、特異な姿の岩峰を聲立させ ている大同心正面登撃の可能性については、会では数回にわたって偵察を重ねた結果、八分通り可能の見込みをつけた。とくに34年冬期、同年春期には、大同心北稜および北西稜に、パーティを送って偵察をつづけたのであったが、その結果、下部の40mほどの不安定な岩壁 と、最上部の悪場さえ突破すれば、岩壁正面の完登は可能性が充分あると判断された。

この判断にもとづいて、会としては本年4月末にパーティを送る予定であったが、メンバーに変更ができ、またパーティの勤務先の都合な どによって、3月末から4月にかけてアタックすることを決定した。メンバーは、南、飯村、石橋の3名を予定 したHップが登りながらハーケンを一本抜いてしま ったのでテラスまでが非常に苦しい登撃になる。

トップはテラスから左に3m、トラバースしていき、きわどいバランスを保ちながらハーケンを打って直登する。3mほどハーケンは打ったが、あとはリスがえられず、ボル トを使用する。この間に私は10mの縄梯子を、ハング下のボルトに取りつけ、1人用のテラスに立つ。私はトップの行動を注意しながらザイルをさばくが、寒風にさらされて体は冷えきり、ふるえてくる。乾パン をほおばりながら四肢を動かしていると、岩燕が私の体の周辺を落石のような羽音をたてて、ところきらわず飛び かう。

南がボルトとハーケンを混用しながら5mほど登 っていくと、時間は14時になった。朝食きりで何も食 べていない南は、さすがに空腹になってきたらしい。こ こで私は南とかわってトップになり、さらに8m直登していくと、右側に草付きがあらわれる。ここにルートをとって、雪のついたところを3mほど登っていくと、外傾 したバンドにつく。この上部を7m登っていけば、その先は傾斜があるようだ。しかし、そこまでは岩がもろくてハーケンは利かず、直上することができない。やむなく右側のカンテにまわりこみ、バンドから2mのところにボルトを埋め、さらにその上に1本打ちこんでおく。時間は17時をすぎているので、ここから幕営地へと下降する。この日はハーケン32、ボルト15を使用した。

4月2日(晴)
今日こそ完登できる見込みである。アタックは南と私で、計良君はサポート。7時半に岩壁の基部につき、ただちに南がトップで登攀をはじめる。ハンク下には10mの縄梯子をセットしてあるから、簡単に最初のテラスに立つ。つぎのテラスヘは、アブミの掛けかえでふたり集まる。ここから南稜側に3m、トラバースしてから、グザグサなもろい岩壁を直上していく。ハーケンを打つのが苦しい岩肌である。

10mほど登っていくと傾斜がついてくる。ザイルはなかなか伸びていかない。やがて、ザイルが2mほど伸びる。さらに3mほど伸び、"あがってこい"の声がかかる。寒さにいささか参っていた私は、勇躍登攀をはじめる。3mほどの草付きの垂壁をどう してトップは突破したのかハーケンが見あたらない。ト ップに声をかけ、ザイルをつけている安心感で乗り越しにかかる。2mほど登ってから下をみると、なんと足もとのスタンスには、アイス・ハーケンがたてにリングの頭をのぞかして打ち込まれている。

この上の岩壁は、右にトラバースしてから直上すると、頭上に小さなピナクルがある。これを乗り越して4mほど左ななめ上にいくと、3、4人はビバークできる大きなテラスがあり、そこで南は待っていた。この岩壁では、10時30分になっても日は当たらず、わずかばかりのホールドや、スタンスは氷雪におわわれ、そこに氷柱がさがって、4月とは思えず、まるで1、2月の厳冬期のような状態になっている。

休んでいると、ジーンとした寒気に襲われるので行動をはじめる。このテラスから右によりながら直上 していく。ここは割にスムーズにザイルはのびていく。この様子から推察すると、ここがいままでのうちで、も っとも快適な登攀のようだ。が、あとザイルが5mあま りのところで、ピタリと動きが止まってしまう。"悪いか"と声をかけるが、上部の動きははっきりしない。20分くらいしてグイとザイルが伸び、一ぱいになってし まう。"あと1m"という南の声が、強風の中からかすかに聞こえてくる。

私はすぐにアブミをセットし、一段 あがっていくと、ついたと声がする。私はそのまま行動に移り、吊り上げをくり返していくと、テラス下が悪くなっている。一息ついてこれを乗り越す。このテラスは2つにわかれているようになっており、具合のよいとこ ろである。「次の間」つきのテラスとはしゃれている、と南と冗談をかわしながら時計をみると、ちょうど正午である。ここで食事にする。

岩壁基部にいる計良君は、私たちのピッケルをドーム上に運ぶ仕度をしている。私たちは再び行動をはじめ、ドドーム基部へと取り付いていく。10mほど右によりながら直登していくと草付きになり、これを3mほどトラバースする。ここは非常に悪く、ホールドやスタンスにとぼしく、かなり苦しまされるところである。5mほど直上していくとバンド下につく。ここからまたも草付きにな り、2mほどでバンドにでる。ここはドームのほぼ中央で、上部の岩壁はもろい上にかぶっており、ハーケン、ボルトともに使えそうもない。

南稜よりに40m前後トラバースしていくと、稜より2m手前にピナクルがある。そこからドーム頂上まで30mほどの登撃を始めたが、5mほどで詰まってしまう。時間は14児0分になっている。ここで一度南稜にと、ルートを求めていると、 ピナクルから南稜リッジぞいにとれば、どうやら切り抜 けられそうなので、再びアタックをつづける。

22mほどリッジにそい、直上していくとやっと1人が立てるテラスがある。ここから南は2本のハーケンを打ち、ザイルトラバースをしていくがホールドが遠いためにハーケンを打ち、これにカラビナをかけるのに非常な苦労をしている。このトラバースを終わって、ついたところが大同心の背稜であり、これからはコンテニュアスで山頂にと立った。ここにはサポートをしてくれた計良君が大同心沢をつめて先着しており、3人で大同心正面岩壁の完登をよろこびあった。時間はちょうど16時になっていた。 (石橋侯男・雲稜33号)