屏風岩東壁ルンゼ・W峰ダイレクトルート連続登攀   


屏風岩東壁ルンゼ〜4峰ダイレクトルート連続登攀

昭和42年5月3日〜6日
L南、吉川、佐々木(邦)

5月3日(快晴)
BC12:30 下部岩壁取付点13:40 T2 18:00

 合宿6日目の今日は待望の登攀の日である。朝からなんだか落ち着かない。後発隊を待つ間にパックも終える。12時近くに来た南は我々のザックを持ち上げてみては余りの重さに首をかしげている。水筒を2本おいていく事にする。今回の登攀ルートは、屏風岩東壁ルンゼを登り、東壁を下り、大テラスより小倉ルートを登り直し、北尾根を縦走し、4峰のダイレクト・ルートを切り開こうという野心的な計画である。

 岩小舎の前の不安定な丸木を渡り、1ルンゼ押しだしの雪渓に入る。希望と不安とが入り乱れる。額から玉の様な汗が流れる。30分余りで下部岩壁の取り付きに立つ。下部岩壁は2年前に吉川、西岡、真島によりボルト40本近くを打ち込み、T3までルートが開かれている。取り付きは1ルンゼ出口より、下部岩壁に付いて下ること100m余りで、3〜40mの浅いクラックがある。そこより左側10m程度の所のフェースから取り付く。5〜6m先の
灌木まで、ホールド、スタンスが共に乏しく、ザックの重さもからんで悪い。ここより右下のテラスまで灌木づたいにトラバースし、さらに少し下に2〜3人用のテラスがある。

 上部はルンゼの真下に当るのか、水が流れている。下には40m余りのクラックが続いている。小休止後、吉川トップで取り付く。1ピッチ目ボルトを1本打ち、カンテの影に消える。アブミの掛け替えらしく、グングンザイルが延びる。20m一杯。合図と共に荷上げ、そして私が登り出す。カンテを廻り込むとボルトの連打である。7m位でボルトがなくなり、右のテラスにトラバースである。ホールド、スタンスはなく5mの完全なザイルトラバースなのだ。テラスで吉川とラストの南をビレーする。2ビッチ目吉川は3m吊り上げ、さらに右ペトラバースするが、ここが意外に悪く、ねばる間に南がテラスまで登ってきた。

 吉川は、やむなくハーケンを打つが、余りきいていない。そのハーケンにアブミをかけ渡りきる。さらに凹角を12〜3m登り、ハングを越しテラスで吉川はビレーを取り、荷上げ後一私が登り出す。トラバースを終え、きいていないハーケンも過ぎた。次のボルトにアブミをセツトする。所が前に上げたザックが一個途中で、ひっかかっていて頭につかえる。これを押したり、引いたりしている間にガツスンとにぶい音と共に2m泣落ちた。しかたなくザイルを手に巻き付け強引に登る。後はアブミの掛け替えにてハノグを乗越しテラスに付く。

 3ピッチ目は吊り上げである。4ピッチ目、バンドを左へ斜上のトラバース。外傾したスタンスは足の踏みかえをゆるさず、足がクロスになる。体が外に振られるのを力一杯こらえて、最後のカンテを廻り込みテラスに出る。ここからT3までコノテニュアスで登る。さらにT2まで登る。T3よりT2の方がビバークサイトが良いからであ

る。横尾の出合に目をやるとチラチラ明かりが見える。しばらくしてザイルで確保してもらい、袋を2つ下げT3に雪を取りに下る。雪のきれいな所をピッケルで削り袋につめ込む。暗がりをT2にもどると、すでにツエルトが張られていた。荷物を適当に整理し、ツエルトにもぐる。

 南も吉川もビバークずれしているのが私にも読める。私の壁のビバークは4回目だが、何となく仕事に追いまわされる。今回の食料は干し魚を主に、主食は米である。横になってしばらくするとバラバラと雨が落ちてきた。しかし新品のツエルトはどこまで雨に強いか、南自慢のツエルトの効果を期待しながらうとうと。吉川は早くもイビキをかいている。

5月4日(快晴)
T2 6:40 取付点6:50 ビバーク地16:30

朝方まだ暗いうちに外に出て見ると、下からヘッドライトの光が上がってくる。昨日あげた雪は全部使ってしまったので、夜があけるのを待ってT3に取りに下る。昨夜天候が少しおかしかったのに、今日は雲一片ない晴天である。5時少し前に今日東稜を登る八木、古屋が元気良くT2に登ってきた。彼らは小休止後、登攀開始、彼らの写真を撮り、T2より退散する。

 東壁ルンゼはT3の所のクラックより取り付く。2m登ったころ、吉川のザックがクラックにつかえて登れない。「アッ」という間にとびおりた?所が私の真上。すばやく右手を出したが、私の鼻ズラをけられた。吉川はザックをおろし、今度はスムーズに5m登りテラスに着く。ここでビレーを取り、吉川は登り出す。フェースクライムでなかなか悪い。右側は庇におさえられているので、左よりに登る。5m位で凹角に入る。5〜6m登るとボサがあり、上がかぶっている。

 ここでボルトにビレーをとり、吉川は続いてザイルを延すと同時に下から南が登り出す。吉川のビレーをしながら南のビレーをする。トップのザイルがたりないと言うので私は5m程度登り、ボルトにてビレーする。すでにオーバーハングを越した吉川が、東稜パーティとコールを交しているらしい。

東稜パーティの声がかすかにとどく。0・Kの声と共に南がいらいら顔で上がってきた。 南が着くと同時に私は動き出す。今度のピッチは完全に張り出した、一級のオーバーハングがまちかまえている。アブミに足をかけると完全に空中に出た。ハングを乗越した所で荷上げ、次のピッチはかなりきびしいバランスも含まれた壁を登り、凹角にいる吉川の所まで行くのだが、まず南をビレーしようと思ったが、すでに南は単独でハングを越え私のすぐ下まできていた。私の4〜5勉の水平トラバースが終わると吉川がまっていた。

すぐ吉川は行動開始。吉川は数m角を登り再ぴ右に出る。さらに数mでテラスに出たらしい。吉川の着いた所は試登のさいの最高到達点と平行したテラスらしい。私はすぐ登り出す。吉川のビレーしている所はバンド状テラスだ。テラスは2段になっている。バンドを左ヘトラバースし、クラックに入る。ここは洞穴状テラスで2人はビバーク出来る。試登の時はここでビバークしたらしく、サビたメタのあき罐がおいてあった。かなり空腹を感じる。 吉川はすでに垂直に近い凹角を登りきり、右側のフェースに出て、吊り上げを繰り返している。続いて荷上げ、これより上は誰も登っていないのだ。東稜と20mもはなれていない。

 吉川は懸命にジャンピングのハツリに余念がない。「ヨーシ」とコールがある。もろいルンゼを直上し、オーバーハングに頭をおさえられ右に出る。やっぱり新しいボルト、ハーケンは気分が良い。やがて悪い乗越しが終わるとテラスである。吉川はイヤな草付きからボルトの頭に立ち上がり、草付きを直上していく。途中でザイルが延ぴない所を見ると悪いらしい。とにかく、ここまで南を上げる。南もかなり疲れている様子だ。三人の子供がいるというのに良くガンバッテいる。

 南に肩をたたかれ、ここいらで良い所を見せてやると心ひそかに思う。吉川が静かにザイルを引く。かなり高い所にハーケンが打ってあり、これをはずして下から左に登った方が荷上げがスムーズなので、そうする事にする。三m位を強引に登った。ここはかなり良いテラスだ。吉川と2人で荷上げ。取り付きより休憩らしい休憩もなく、吉川と南が一つのテラスに一緒になったのはここが初めてである。後はゴソゴソと草付きを登るとビバークに最適のテラスに出た。時間は早いが、ここをビバーク地にきめる。

 4時を過ぎたばっかりなので頭上に張り出す大オーバーハングだけを乗越しておこうという事になり吉川がボルトを打ち出す。彼は例によってホルダーを3本一緒にぶらさげている。南がそれを見て、ずい分世の中が変わったものだと感心している。南はビバークサイトをピッケルでならしている。この上のハングの乗越しには4本のボルトで乗越せるという南、7本はいるという吉川、結局7本打ってしまった。南は「俺の目も随分焼きがまわったもんだ」などと言いながら、ふてくされた様に、今作ったビバークサイトにひっくりかえって寝てしまう。

 さらに幾本かのボルトを打って、ツルベでおりてきた。辺りに夕ぐれの近づくころボルトに身をたくし、3人ならんでツエルトにもぐりこむ。しばらくしてツエルトから顔をだすと降る様な星、明日の天気も約束される。横尾では大小のキャンプファイヤーがチカチカ見える。出発前に合宿のチーフリーダーである石橋と、南がうち合わせておいたライト信号を横尾と交す。今夜は三人共余り寒がらない。そして明日の登攀の話しもしないし、今日登攀の話しもしない。ただ成行きにまかせているのだろう。

5月5日(快晴)
ビバーク地5:50 登肇終了13:30〜15:50 屏風ノ頭16:30〜16:50 六峰タヌキ岩下18:55

 今日も連続快晴。朝食抜き、トップ吉川で取り付く。昨日取り付けたザイルに体をつける。今日中に上に出ないと4峰は放棄しなければならない。吉川はボルトを連打し20m一杯で私が登り次は荷上げ、南がオーバーハングの庇の先端に「南部風鈴」をぶらさげニコニコしながら登って来た。一方、吉川はかなり悪いボサを登り後、テラスに出たらしい。このテラスは東稜の登攣終了点よりは高い。

 ここより上はルートが分れている。右よりに登れば一ピッチで東稜の上のボサに出てしまうので、左よりのルンゼを忠実に登る事にする。左手ルンゼ入口にあるオーバーハングの下の所までボルトを打った吉川は、トップ交代の為におりてくる。トップをかわった南はハングに2本のハーケンを打ち込むと、アブミをセットし、上の灌木にぶらさがり強引に乗越して行く。合図と共に私が登り出す。途中、南の打ったハーケンが抜けて3m程度落ちる。

 後で南の所まで上がって見ると南のビレーピンが抜けたらしい。南はクラックに体を入れていた為、飛びださなかったのだろう。荷上げ後吉川が登ってくる。トップはさらにルンゼに数本のハーケンを打ち込みながら20m一杯で大きなテラスに出たらしい。続いて私もテラスに出ると、もはや登筆終了点なのだ。ルンゼを間に右には真臼な雪渓が上に続いている。荷上げ後吉川も着く。テラスの木にスカーフを縛り登蓼終了の標にする。

 雪渓を7〜80m登ったころカンテからの踏み跡に出る。日のあたる所で食事にする。米をたいて飯を食いだした時には14時を廻っていた。北壁より登って来た小原、桜井、荻原の三人と会う。彼らと一緒に登り、汗をかくころに屏風ノ頭に出た。大休止。心いくまで穂高の山なみをながめる。最低コルにて別れ[峰に向かう。軽く汗ばんだ背中を夕ぐれの風が気持良く通る。南の到着をまって再びザックをかつぐ。Y峰のタヌキ岩に着いた時は、すっかり暗くなってきた。タヌキ岩の下にビバークする事にする。涸沢のテント村の光が印象的だ。

5月6日(快晴)
タヌキ岩下5:15 W−Xノコル6:55 ハイ松テラス8:45〜9:10 登攀終了 14:50
X−Yノコル17:10 BC19:10

朝食後、早々にW−Xノコルに向かう。固くしまった雪にアイゼンの歯がきしむ。W−Xノコルよりザイルを出して南をジッヘルしながら下る。3人でピッケルは1本しかない。南は日がたつにつれてより慎重な行動をしている様だ。汗でビッショリになりながら第一テラスにトラバース。途中くきった雪に南が足をとられたが、ことなきを得た。3人がテラスに着いた時は7時を廻っていた。奥又より1パーティがすぐそばまで来たので、ただちに取り付く。1ピッチ目は、クラック状の所を40m一杯吉川、南、佐々木のオーダーである。

 南が40mの所でビレー。ただちに吉川と私が登り出す。2ピッチ目はなおも右に斜上するクラック状の所を登り這松テラスに出る。這松テラスをピッケルでならし小休止。南はしきりにルートを目で追っている。屏風で使った残りのボルトやハーケンをよせあつめて、まず第一ハーケンを打ち込む。例によって吉川がトップ。取り付きは這松テラスのほぼ真中。雪の為に取り付きが、第一オーバ!ハングの出口から始まる。

 始めから吊り上げ。数本のハーケンを打ち、吊り上げを続ける。どのハーケンも歌う。吉川のビレーの間を見てホエーブスに火を付け、水を作り米をたく。吉川に誠に気のどくだが、2人で昼食をとる。第2のハングに行く手をおさえられて、左より抜けようとしたがリスが無い為、やむなく右よりにハーケンを打つ。ハングの出口に打ったハーケンにアブミをセット。そのアブミの3段目に足を上げた吉川が思いきって、グッと立ちあがった
時には、思わず私は手に力が入った。

 さらに庇の上にスタンスがあるらしく、スルリとアブミからぬけだし、そのスタンスに両足で立つ。続いて第3のハングも鼻ズラの先を乗越し、スラブにボルト4本打ってビレー。私が吉川の所まで登ると、吉川は右の凹角状のスラブを10m程度登り、ハーケン、ボルトにビレーを取る。私は荷上げをする。まったく荷上げはつらい。終了後、南が登ってくる。

 私はすぐ吉川の所まで登っていき、ボルトにてビレーを取り、吉川の行動を監視する。ボルトがない為に、ハングの下を左へ4m位トラバースし、ハングしている凹角を登るがこれがなかなか悪い。上のボサをつかみ立ち上がる。クラックを20m一杯で登攀終了である。私もすぐ登り、吉川と私で荷上げ。続いて南が4年間の夢を胸にひめて一歩一歩上がってくる。そして6時間の苦闘後3人一緒になる。

 三ツ道具をかたずけて、ザイルを1本だけ残して、雪の上を適当に登りやすい所を選んで登る。20m程度で踏み跡に出る。踏み跡をつたわって帰途に着く。W−Xノコルでザイルをたたむ。W−Xノコルの雪渓をもぐりながら、涸沢経由で仲間の待つ横尾のBCに向かった。 
                                            (佐々木邦雄・雲稜45号)