日 程 : 2018/2/17 - 18
山 域 : 八ヶ岳 大同心稜
目 的 : 冬山トレーニング
メ ン バー: L 野水、篠崎、加藤智、榎田一
天 気:2/17【曇り】 2/18日【晴れ】
17日(土) 9:08茅野駅9:30 - 10:08美濃戸口10:29 - 14:00赤岳鉱泉 雪上訓練15:00~17:00
18日(日) 4:30起床 - 赤岳鉱泉5:45 - 8:15横岳稜線8:18 - 9:30赤岳鉱泉10:50 - 12:30美濃戸口
17日(土)
今週末の天気が悪いのではと懸念していたため、L野水さんに確認したところ八ヶ岳の天候は東京よりの天候になりやすいとのこと。
実際に17日はそこまで天候は悪くなく曇り、18日は空は青く晴天であった。こういうところからも知識・勉強不足であることを痛感した。
赤岳鉱泉にてテント設営後、雪上訓練を実施。
野水指導の下、まずは弱層テストを行った。今回スノーソーを初めて使用したが最初は刃先を意識出来ずまっすぐ雪を切り出すことができなかったが何回か練習しまっすぐに切ることが出来た。
弱層テストでは雪の断面を観察することができ雪質の違いを意識することができとても勉強になった。
実際の山行のどういった場面で弱層テストを意識し実施するべきかなどは今後の課題と感じた。
弱層テスト後は、ビーコンを使用しての訓練を実施。
野水が隠したビーコンを探す訓練を篠崎、加藤智、榎田一で行ったが榎田のビーコンは最初は全然違うところを指しており戸惑った。谷川で秋山に指導頂いた時は、矢印の方向に走って行った覚えがあったため違う方向を指す場合があることを知れたのは勉強になった。距離が15mぐらいの時は最初はあまり急いで動かない方が正確に方向を示してくれることを覚えておきたい。
まず三回ほどビーコン探しを実施したが篠崎さんがビーコン・ゾンデを扱うのが上手く、すべて篠崎が見つけた。
その間榎田はただただ右往左往しているだけだった。
また、自ら雪に埋まりゾンデでの人の感触を感じる訓練を行った。
17:00前はもうかなり冷えてきていた。
18日(日)
準備を済ませテントを出ると、風もなく空はきれいに星が見える。
赤岳鉱泉からしばらく歩き硫黄岳に通じる道の手前を右に折れさらにすすんでいく。
緩い傾斜の尾根についたかと思えば、すぐに急な傾斜の尾根を歩くことになった。
朝の歩きはじめにこの傾斜は息が上がってしまう。ただ距離が短いことが救いであった。
少し立ち止まるだけで、寒さや末端の冷たさを感じる。大同心が見えるかというところで携帯の電源が落ちた。やはり今日は冷え込んでいるらしい。
樹林帯の尾根を抜けると、目の前に雪を纏った大同心が目の前に現れた。寒さを忘れるほど青い空と大同心がとてもきれいであった。
会の名を冠するルートもあってか、そう遠くないうちに挑戦できるように精進していきたい。
大同心基部の割りとしっかりした道をトラバースした先に雪の斜面をトラバースする箇所があり雪が柔らかめで個人的には一番不安を感じる場所であった。
みんなに追いつかないといけないという焦りそうな気持もあったが、そういう焦りを自制し慎重に足をきめ進んでいった。
トラバース後はルンゼをピッケル、アイゼンを効かせ慎重に登って行く。横岳稜線が近くなり一先ず安堵する気持ちになっていたが稜線に出ると強烈な風が吹いていた。この風は一度経験しているので焦りや不安はなかったが、以前は硫黄岳を過ぎたあたりの広い場所で体験したが
この稜線でこの風はかなり危険だなと感じた。風の強さも風速20m以上はあるであろうみんな立つのがやっとの状態であった。
L野水の指示で、登ってきた大同心稜を少し下る。風の強さを考慮し登ってきた大同心稜を下山することとなった。
登りでは危険だと感じることが少なかったが、下山時だと雰囲気が違い傾斜がさらに急に見え不安がよぎることもあった。
それでも、不安な気持ちを自制し慎重に行動出来たことはよかったと思う。
一度、秋山から指導頂いたが日和田山などでのグローブ・アイゼン・ピッケルを使用しての登りやクライムダウン、ロープワークを定期的に訓練する必要があると感じた。
下山も大同心基部手前の斜面のトラバースが一番慎重になった。
テント場に着きやっと安心する気持ちになった。
今回の山行では急斜面の歩行、岩稜・雪稜のトラバース、岩稜の登り下り、懸垂下降など様々なシュチュエーションを経験することが出来とても勉強になりいい経験をすることが出来た。
今回の山行では、一時的に体調不良になる人もおりそういった状況でも対応・救助できるように岩稜・雪稜の登り下り、ロープワークを身に着ける必要があると感じた。
また、手の指を凍傷した人もおり異変に気づけなかったことも大きい課題となった。自己責任という言葉も良く聞くがやはり集団で登ると決め集団で登るのであれば相手の異変に気付き、また最悪の状況になる前に山行を止めることになっても無理をせず自分の異変を訴えることの大切さを感じた。 (記:榎田一)