平成16年度 冬合宿山行報告
東京雲稜会 平成17年1月15日
期 間:平成16年12月30日〜平成17年1月3日(前夜発4泊5日)
場 所:八ケ岳西面
参加者:L悉知、SL石田、柄沢、榎田、岡本、佐藤、若井、遠藤、小原、二宮
吉川(30日〜1日のみ)、鈴木(初日のみ)
各担当:装備・榎田、食料・柄沢、記録・岡本、会計・佐藤
概略
12月29日(水)・集合、出発
12月30日(木)・入山、天幕設営 ※天幕設営後、鈴木下山
・裏同心ルンゼ支流アイストレ(L悉知、石田、柄沢、榎田、岡本、佐藤)
・雪上訓練 (L吉川、若井、遠藤、小原、二宮)
12月31日(金)・中山尾根 (L悉知、柄沢、榎田、吉川、石田、岡本)
・赤岳主稜 (L二宮、佐藤、若井)
・文三郎〜赤岳頂上 (L小原、遠藤)
1月 1日(土)・石尊稜 (L二宮、石田)
・三叉峰ルンゼ (L悉知、柄沢、榎田、岡本)
・硫黄岳 (L小原、佐藤、若井、遠藤)
※吉川下山
1月 2日(日)・小同心クラック (L悉知、石田、榎田)
・阿弥陀岳北稜 (L二宮、佐藤、若井、遠藤)
・石尊稜 (L岡本、柄沢)
※小原、膝痛のため中山展望台往復
若井、阿弥陀岳北稜終了後下山
1月 3日(月)・天幕撤収、下山、解散
以下、行動の詳細を記す。尚、記録及び報告は、各パーティーの記録担当者によるものである。
総括
付録 石尊稜へのアプローチ
12月29日 集合・出発
▼悉知車<D悉知、若井、遠藤、石田(元八王子停留所合流)> 中野駅集合(22:00)
▼二宮車<D岡本、二宮、小原、佐藤>・鈴木車<D鈴木、吉川、柄沢、榎田>
西国分寺駅集合(22:30)
― 中央道八ケ岳PA全体集合(24:40)― 八ケ岳美術館駐車場(25:30)
(記 岡本)
中央高速に大きな渋滞はなく順調に小淵沢IC到着。積雪もほとんどなかったが、路面凍結を危惧し、小淵沢ICを降りて最初のセブンイレブン駐車場でチェーンを巻く。八ヶ岳美術館駐車場には多少の積雪あり。6人用テントと車中に分かれて就寝。全てすこぶるスムーズ。
12月30日 晴れのちくもり
移動・入山
起床(6:00)― 八ケ岳美術館駐車場出発(7:30)― 美濃戸口駐車場(7:40、
出発8:25)― やまのこ村(9:15、出発9:25)― 北沢の橋(10:25、
出発10:35)― 北沢の橋2(11:00、<若井、遠藤アイゼン装着>出発11:15)― 2100m地点付近(11:55、出発12:10)― 赤岳鉱泉(12:52)
(記 岡本、敬称略)
予報によると、あまり天気のよくない今回の冬合宿。事前情報では、積雪も少なく、冷え込みもやっと始まったところと、条件としてはどれをとっても心許ない。後で知ったことだが、この12月、大同心では、冷え込み不足のために岩が抜けるなどのアクシデントで二件も滑落事故が起きていた。また、氷の発達も遅れ、薄氷の登攀が予想された。
合宿メンバー11名は、大きな不安を残す八ヶ岳に突入した。
初日、起床時は車の室外温度計で−6℃。歩き始めた後、やまのこ村の前では携帯寒暖計は−10℃を指していた。ほどよい冷え具合である。
隊列の先頭は終始SL石田が行く。適度なペースだが、佐藤、鈴木は途中遅れ気味。新人の遠藤は厚着で汗だくになっていた。基礎の欠落が目に付く。
北沢を二度目に渡る橋で小休止の際、L悉知から、若井、遠藤にアイゼン装着の指示が出る。それまでにアイゼン歩行の経験がある若井は、不満な表情を見せながらもアイゼン装着。新人なので要練習と諭される。また、若井には、意図的にスパッツを持参しなかったことにも叱責があった。必要性を納得させるまで、柄沢の丁寧な説明が続いた。
赤岳鉱泉に到着すると、例年の天幕の花。トイレの改装と銘打って昨年値上げされた一人1000円の幕場代金にも、皆、泣き寝入りといったところか。大して温かくもない暖房便座にしただけで、以前の倍額になったのである。職権乱用に近い横暴さに腹が立ち、最終日まで、トイレを使いまくってやった。
さて、持参した天幕は10人用一つと4人用一つの二張り。10人用天幕を張れる場所は少なく、適地を見つけるのに一時を要したが、小屋の真向いに広い幕場を発見。夏季はベンチが並べてあるところだ。
「東京雲稜会」と書かれた10人用天幕は、目立つ場所にあったことも確かだが、とにかく人目を引いたようだ。連日、多くの隊員が、「あの雲稜会ですか?」などと訊かれていた。
恥ずかしいことはできない―― 雲稜会の名に恥じない冬合宿を、皆が迫られた。
全ての食料を背負い上げたOB鈴木はここで下山。偉大な雲稜会のOBから「頼むぞ、現役!」とバトンタッチされたような気がした。
裏同心ルンゼ支流アイストレーニング
L悉知、石田、柄沢、榎田、岡本、佐藤
出発(14:07)― 裏同心ルンゼF1手前の支流(15:10) <アイストレーニング>撤収(14:30)― 赤岳鉱泉(17:00)
(記 岡本、敬称略)
天幕設営終了後、時間がおす中、食事の時間もないままに隊は集合。腹が減っても、まずは一登りしておきたい。主力部隊は、急ぎ、アイストレーニングに向かった。1月1日に三叉峰ルンゼ(Xの滝を持つ)の予定があり、なおかつ、全員今季初のアイスだったため、各々、少なからず緊張しているように見えた。
緊張は思わぬ過ちを呼ぶこともある。裏同心ルンゼは、赤岳鉱泉から硫黄へ向かう登山道を行き、二つ目に横切るルンゼである。案内を買って出た榎田は、一つ目のルンゼ(大同心ルンゼ)に入ろうとし、アプローチを間違えた。初歩的なミスにL悉知の激が飛ぶ。
気を取り直して裏同心ルンゼに向かい、F1までようやくたどり着いた。ピッチグレードV程度の簡単な滝が完全結氷し、上部に見えるF2の分も含め、2パーティーほどが取付いていた。こんな簡単な氷を登るのかと見上げていると、悉知は「我が隊にはこんな簡単なところは登らせられない」と見栄を切った。さすが我が隊のリーダーである。
目指すは裏同心ルンゼ左岸支流のアイス。裏同心ルンゼからは奥まって見えない5〜6mの氷瀑である。短いが、しっかり立っている。
岡本が左(W)から、榎田が右(W)からそれぞれリード。氷はもろく、スクリューの入りも効きも悪いが、難なくクリアする。
しかし、登ったのはよいが、問題はこの後にあった。支点がない。
先に登った岡本は、残ったスクリュー2本と流動分散もどきで支点を作った。固い氷を探して打ったスクリューだったが、トップロープに耐えるか否かはわからない。支点の強度チェックで時間も食った。そうこうするうちに、時間の関係でトップロープをやめ、セカンドの柄沢を上げることになった。予定変更にホッとした。
アイスのリードに不慣れな榎田は、岡本の支点を一瞥して「嫌だな」とつぶやき、上部に支点を求めたが、そこにまともに支点の取れるものはなかった。結局、榎田のザイルは知恵の輪のようになり、支点作りに30分を費やしてしまった。セカンドの石田を上げる頃には、岡本、柄沢は、下降のための支点へと移動を始めていた。
L悉知と佐藤は登らずじまい。初日から悪い結果に、皆、悶々としながら赤岳鉱泉に戻った。
雪上訓練
L吉川、若井、遠藤、小原、二宮
出発(14:10)― 中山乗越(14:50) <雪上訓練> 出発(16:15)― 赤岳鉱泉(16:50)
(記 遠藤)
今日は冬合宿の初日。雪山初体験の僕にとってはこれから先の合宿はミラクルワールドである。赤岳鉱泉にベースキャンプを設営し、午後2時10分、早速、雪上訓練に向う。ハイキングクラブ出身の自分としては、「え?!休憩なしでいきなり訓練なの?!」などといきなり面食らう。そして、これから先の合宿の厳しさをなんとなく肌で感じ取る。。。
今回の雪上訓練の目的は、「雪山歩行に慣れる」といったことがテーマだという。ベテラン3人に、若井さんと僕の2人の初心者というメンバー構成だ。雪山登山にあこがれて、雪山初心者として東京雲稜会に入会させてもらった自分にとっては、このような機会を設けていただいたことはありがたい。
赤岳鉱泉を背に出発。まずは、アイゼンなしで雪山歩行を行う練習。雪山では足を大きく広げて歩くようにする。意識して歩いていても気がつくと「もっと足を大きく開いて歩いて」との指摘。なかなか慣れるのには時間がかかりそうだ。また、雪上歩行では、「足を雪面に対してフラットに置く、スタッドレスタイヤが雪をグリップするような要領で」などの注意点もあるとのこと。
二宮さんの解説は親切でわかりやすい。
しばらく歩いていくと、急に傾斜がきつくなり、雪に滑って登れなくなってしまった。そういう時の歩き方は、キックステップを使うという。雪面をつま先で軽く蹴る。すごい!たしかに滑らないで登れる!出来ないことが出来るようになるのは嬉しいものである。
中山乗越への到着は思ったより遅くなってしまった。いろいろ教えていただきながら歩いたので仕方がないことなのだが。。。 自分にとってはこれだけでも大きな収穫だったと言える。しかし、教えていただいた技術を身につけ、自分のものとするにはまだまだ時間がかかりそうだ。中山乗越で小休止した後は、近くの斜面で、ザイルを使った訓練を行うことになった。
登山道を離れ、近くの森の中に身を進めて行く一行。僕は今まで登山道以外を歩いたことがなかったので、「こんなところを行くの?!」と内心、面食らっていた。一行は森をかき分けて進み、雪上訓練に丁度良さそうな斜面を発見。ここでザイルワークの訓練をすることになった。
僕は今までザイルワークとは無縁な登山活動をしてきたので、ザイルが出てくると緊張してしまう。基本的な結び方など、まだ全然マスターできていないのだ。雪上訓練の斜面は、ツルツルに凍った土の上にサラサラの雪がかぶっていたので、普通に立っていることも難しかった。油断すると、ツルンと滑って滑落しそうになってしまう。「しっかり自分のスタンスを使って立って!」と指令が飛ぶ。
若井さんがビレイヤーとなり二宮さんがザイルを身につけて斜面を登って行く。そして、登った先に次々と支点をこしらえていく。どうやら全ての支点をこしらえたらしい。次は僕の番だ。二宮さんはズイスイ登って行ったが、自分が登ると足場が崩れ、滑り落ちそうになる。「もっとピッケルを使って!」とは小原さんの声。ピッケルを雪に刺し、なんとか立ち上がる。なんとかツルツルの斜面を登りきり、今度はトラバース。トラバースはなんとかうまく乗り切ったが、斜面の下りでは、何回も滑ってしまい、足場を崩しまくってしまった。
「こういう時は、後ろ向きになって、ピッケルを斜面に突き刺して!」と、今度は吉川さんの声。なんとか、斜面を滑らずに下りることができることになった。僕の後、若井さん、小原さんが、同じ動作を行い、午後4時15分、雪上訓練は終了した。暗くなる前にテント場に帰らなければならないので、一行はいそいそと下山。午後4時50分に赤岳鉱泉に到着した。
・・・今回の雪上訓練はアイゼン・ピッケルの使い方を学んだり、慣れたりするのに良い機会となりました。この訓練があったからこそ、次の日の赤岳、そして、最終日の阿弥陀北稜を踏破することができたのだと思います。今回、いろいろご指導していただいたメンバーのみなさん、ありがとうございました。
12月31日(金) 晴れのち吹雪
中山尾根
L悉知、石田、柄沢、榎田、岡本、吉川
起床(3:00)― 出発(5:20)― 中山乗越(5:45)― 2500m付近の樹林帯(6:30、出発6:40)― 下部岩壁基部(7:10)― 上部岩壁基部(9:35)―
稜線(12:40)― 地蔵尾根分岐(13:00、出発13:15)― 行者小屋(14:00)― 赤岳鉱泉(14:30)
(記 岡本、敬称略)
「いきなり」の中山尾根と言っても過言ではないだろう。比較的、会の底辺にいる現役で構成された今回の合宿隊にとって、中山尾根は合宿中、最も厳しく、実力以上のルートであるからだ。その難しさを助長したのが、結局、最終日までの中で最も悪かった天候だった。隊員は、八ヶ岳の吹きさらしに雪稜の厳しさを思い知った(または再確認した)に違いない。
宵のうち、満天の星がレイアウトされていた快晴の空も、夜明けとともに灰色になっていた。
隊はSL石田を先頭に、中山乗越を左に入り、下部岩壁へ続く稜線のトレースを辿る。長い樹林帯を抜けると、まだ7時前後なのに風が吹き始めた。
下部岩壁到着。風に混じって雪も降り出した。ここで、パーティーはザイルを組む悉知、榎田、柄沢の3名、吉川、石田、岡本の3名ずつに細分化された。
中山尾根の最難関は下部岩壁の取付き。まず悉知が中央を難なく登り、上でビレイするが、続く榎田はA0でもなかなか登れない。痺れを切らした吉川が右から登ってもう二本のザイルを引く。しかし、榎田同様、吉川に続く岡本も、うまくホールドが見つからず、スタート直後からザイルにテンションがかかる。悪戦苦闘の末、榎田も岡本も、やっと1P目を登った。そして、柄沢もA0。石田も足を滑らせ、一度テンション状態に陥りながら、最難関の1P目を乗り越えた。
隊は核心を通り抜けた。しかし、まだ上部岸壁もある。悪天候の中山尾根はそんなに甘くない。
下部岩壁とその上部の草付きを計3P登り、上部岩壁に向かう。その頃には、天候は大荒れ。吹きつける風と雪に、手はかじかみ、皆、目出し帽で顔を覆っていた。
一度は悉知チームを抜いた吉川チームだったが、悉知チームに先頭を譲る。
上部岩壁には、再び悉知が先に取付いた。中央を行こうとするが、思ったより傾斜はあり、ホールド、スタンスともに良くない。右を回ろうとするも、岩はもろく、一度は足を乗せた岩が崩れ、1〜2mではあったがフォール。また、吉川にも難しかったように見えた。いろいろなところを歩きまくり、やっとルートを探し当てた感じで登っていった。
榎田、柄沢、ともにA0で登る。岡本、石田はA0こそしなかったものの、岡本の回収に時間がかかり、決して速いとは言えない時間で登り終えた。
上部の難関を越えると、稜線への最後のトラバースまで残り3P。悉知チームは3P目の途中から稜線へトラバースを始め、先に下山。ルート通り行った吉川チームは遅れて稜線に出た。吹雪のため、ゆっくりする時間はなかったが、特にこれが初めての雪稜だった岡本は、吉川、石田の手を、強く、ゆっくり握り返していた。
ハードではあったが、無線連絡も取れ、満足感たっぷりだった。やったー!
赤岳主稜
L二宮、佐藤、若井
出発(5:20)― 中山乗越(5:45)― 文三郎道鎖場上トラバース地点(7:00)― 小稜線末端(8:30)― 主稜取付・チムニ−裏敗退(12:00)― 文三郎道鎖場上トラバース地点(13:15)― 赤岳鉱泉(14:15)
(記 佐藤)
夜も明けぬ寒い中、身支度を始める。中山尾根パーティーと中山乗越まで行動を共にする。三人だけになると、途端に心細い気もするが、赤岳頂上を目指すため。気合を入れる。まもなく、行者小屋へ到着。アイゼンを装着する。途中で脱げることのないよう、入念に確認する。
少し遅れてきた、文三郎道〜赤岳往復パーティーが到着。阿弥陀岳との分岐まで同行し、お互いの検討を祈り、そこから当パーティーが先行し、再び三人の行動となった。朝の登りはきつく感じられるが、このころには空も少しずつ白み始め、身体も少しずつ温まり始めた。今日の天気は午後より悪化とのこと。順調に進めば、と思う。黙々と文三郎尾根を登っていく。
長い階段が出始めた。アイゼンのツァッケを引っかけないよう慎重に通過していく。段差があるため、重い足を持ち上げるのは一苦労だった。階段が切れたあたりで主稜への取り付きのトラバース開始地点を探し始める。晴れてはいないが、赤岳頂上・西壁が良く見渡せる。頂上小屋のあるピークから派生している尾根が主稜だろうか。大きくどっしりとしているが、事前に見ていたチムニーは確認できなかった。比べる物がない為、大きさや距離の感覚がつかめない。あの稜線までは、長いトラバースになりそうだった。
文三郎から下降するルンゼもかなり深そうだ。少しでも緩いところはないかと二宮さんが丹念に探す。他より少し緩いところが見付かった。いよいよだな、と緊張が高まった。
雪がついているので、下降は思っていたよりも楽だった。ルンゼに降り、今度は小さな稜線に登り返す地点を探す。ルンゼを10mほど上部へ進んでいったところが何とか登れそうだった。軽いラッセルとなる。
小稜線に登り、そこから赤岳方面へ進んでいく。その小稜線が切れるあたりから、雪のない小岩まじりの地面となる。眼前に見える岩稜帯に行くのには、まず2mほどの岩場を登り、さらに100mほど進んで行かなくてはいけない。
ザイルを出し、二宮さんリードで佐藤、若井くんと続くが、私はアイゼンがうまく岩に乗らず、落ちるかと思いながら、勢いで登る。さっそくヒヤリとする場面が来た。50mでピッチをきる。さらに2ピッチ念の為にザイルを出して歩いていく。文三郎から見た稜線へは更に左へトラバースしていくものと思われたが、そこから突き当たりの岸壁から右へトラバースするとのこと。
文三郎から一つ目の稜線に当たるこの場所は、右へ行くと南峰リッジではないかと私の中に疑問が浮かんできた。
このころから風がだんだんと強くなり、積もった雪を撒き散らして激しく吹き荒れてきた。スキー場でも吹雪かれたことのない私はもう吹雪だと勘違いするが、二宮さんの話ではまだ吹雪ではないとのこと。恐怖が襲ってきた。
3ピッチ終了後、その場所から右へトラバースすると主稜の取り付きとのこと。そのトラバースの下は、切れ落ちているように見える。恐い。また、ザイルワークに時間がかかったことから、このころから指に強烈な痛みを覚え始める。天気は先ほどより更に悪化し、本当の吹雪となる。ここから、頂上へは5時間くらいかかるらしい。
この先、岩稜帯に入ってしまうと後戻りができないという。今、自分達が目指しているのが南峰リッジではないか、という疑問とこの痛い指で岩に取り付けるのだろうか、という不安と、もし行き詰まったら、後戻りができなくなった時に、悪化する天候の中、ビバークをしなくてはいけないのではないか、という不安が一気に押し寄せてきた。
二宮さんに敗退したいと願い出た。説得されたが、どうしても行ける気がせず、また若井くんも戻りたいとのことで、メンバーの力不足とのリーダーの決断により14:00敗退となった。
合宿後、敗退の原因と今後の対策について調べたところ、ルートについては当パーティーが文三郎よりトラバースした地点より更に上部よりトラバースを開始する地点あり。そこから、約100m程平行にトラバースして、主稜取り付き点のチムニーがあることを確認。当パーティーがとったルート、20mのルンゼへの下降と稜線への登り返し後、ショルダーの右側を右へトラバースし、チムニー裏側から取り付くというルートも正規のルートであることを確認した。南峰リッジは文三郎道が右に大きく曲がったあたりから左を見上げたあたりのかなり上部から始まっていることも確認。以上事前の地形図でのルート確認や、現地での地形図の確認を怠ったことが、南峰リッジに取りついているのではないかと私が勘違いしたことの原因だった。
技術については、ザイルを出してから、現役2名の役割がうまく機能せず、時間がかかったことも、今後の課題となると思う。また、アイゼンワークも事前の岩場でのトレーニングをしておらず、雪のない場所での歩きがぎこちないことも今後の課題に思う。また、寒さについては、グローブが雪稜に不向きだったこともあるが、それ以上に絶対に登ろうという気力が欠けていたことが、一番の敗因だと思う。
他のパーティーが同じ条件の中、より厳しいルートを完登したことを考えると、技術的なことはもとより、精神面での弱さが決定的な敗退原因となった。せっかくの経験の場面で、不本意な結果に終わらせてしまい、パーティーのメンバーには本当に迷惑をかけたと思う。冬山への甘さや、技術不足など大きな課題を残した結果だったが、さらに多くの山行を経験し、徐々に成長していきたいと思う。
文三郎道〜赤岳山頂
L小原、遠藤
出発(5:30)− 中山乗越(6:00)― 行者小屋(6:10)― 阿弥陀分岐(6:25)― 文三郎分岐(7:55)― 赤岳頂上(8:40)― 頂上小屋(8:45、出発9:20)― 赤岳展望荘(9:50)― 地蔵の頭(9:55)― 行者小屋(11:00)― 中山乗越(11:20)― 赤岳鉱泉(11:40)
(記 遠藤)
朝3時20分に起床。厳冬期の雪山で迎える、生まれて初めての朝である。シェラフの中は温かく、なかなか起きて外に出るのには勇気がいる。身支度して隣のテントへ顔を出すと、既に着々と朝食の準備が始まっていた。起床の予定は3時だったので20分も寝坊してしまったのだ。
朝食のメニューは天ぷらそば。今日は大晦日ということで、朝食兼、年越しそばということなのだそうだ。外の空気は冷たく静かであるが、テントの中は、シューシューとお湯が沸き、なかなか温かい。今日の予定は文三郎尾根から、赤岳へのアタックである。ここでしっかりエネルギー補給をしておかねばならない。
朝5時30分にテントを出発。いよいよ雪山登山開始である。メンバーは、小原さんと自分の二人である。自分にとって記念すべき雪山登山第一回を、小原さんのような大ベテランの方にマンツーマンでついて面倒を見てもらえるのはとてもありがたい。
赤岳鉱泉を背に、昨日歩いた中山乗越を経て、行者小屋へ向う。真っ暗な雪道を、ヘッドライトを点けて歩く。赤岳鉱泉もそうだが行者小屋のテン場も全国から集まった大勢の登山客でにぎわっていて、お正月ムード満点で、なんだか嬉しかった。ここで、二宮さん、佐藤さん、若井さんらの別パーティーと顔を合わす。行く先は別だが、同じ雲稜会のメンバーと顔を合わせたこともやっぱり嬉しい。
アイゼン・ハーネスを装備し、行者小屋を後にする。空は次第に明るくなりはじめ、眼前に赤岳や横岳、右手に阿弥陀岳が姿を現し始めた。振り返ると、遥か遠くにふもとの街の姿も見える。雪山の景色はやはり美しかった。来て良かったなあと思う。文三郎尾根は今回、初めて歩くのだが、登りについては雪の量は少なく、歩きやすかった。しかし、後半現われた、金属製の階段に、度々アイゼンの爪がひっかかり、引き抜くのに難儀した。こういうところも歩き方のコツがあるのだろうか、などと考えながら高度を上げていく。道中、休憩して立ち止まった時、小原さんが、「あれが中山尾根だよ。あれが大同心だよ」などと、近くの地理を詳しく教えてくれた。
しばらくして稜線に出た。稜線上は話に聞いていたように、風が強く、寒かった。稜線上より、岩場を経て、赤岳頂上をめざす。
僕にとって八ヶ岳は思い入れのある山だ。去年の夏、初めて自分でパーティーを組んで登った山が八ヶ岳だった。その時は編笠山を基点に、権現岳、赤岳、横岳、硫黄岳を縦走した。今回は雪山初挑戦であるが、それが八ヶ岳であったことは自分にとっては感慨深いものがあった。稜線から山頂までの行程は、雪が少なく、夏山と同じような感覚で登っていくことができた。
そういうわけで、案外あっけなく、頂上に到着することができた。この時の時刻8時40分。しかし、それは、後ろに小原さんという大ベテランについてもらっていた安心感があったからこそであったと思う。頂上で記念撮影をし、頂上小屋で大休止。温かいストーブで暖をとり、テルモスのお湯を飲み、行動食のどら焼きを食べ、タバコを吸う。至福のひとときであった。
大休止の後、頂上小屋を背に歩き始める。小原さんが言ったとおり、次第に天候は崩れ始め、吹雪になった。天望荘を過ぎ、無線交信のため、地蔵尾根のお地蔵さんの前で小休止。何度も呼びかけたが、応答はなく、仕方なく、下山を開始することになった。
地蔵尾根からの下山は、小原さんがトップとなった。地蔵尾根の下りは傾斜がきついので、慎重に歩を進めなければならないとのことである。クサリ場や階段が続き、神経を使う場面が多かった。ここで滑落し、骨折した方もあるとの話に、緊張しながら歩く。
しばらくして、無事難所を通過。あとはなだらかな道なので、一安心とのこと。小原さんに雪道の歩き方の注意点などを教えてもらいながら、行者小屋に戻る。ここで、アイゼン・ハーネスを外し、11時40分、赤岳鉱泉のテント場に帰着。小原さんと、無事登頂の握手をかわして、初めての雪山登山は幕を閉じた。
今回の山行は、念願だった雪山初挑戦だったので、いろいろと学ぶところも多く、特に歩行技術など、なかなかいっぺんには消化できないかと思いますが、これから徐々に経験を重ね、身につけていけたらと思っています。同行して下さった小原さん、本当にありがとうございました。
1月1日(土) くもりのち晴れ時々吹雪 ※朝、吉川下山
石尊稜
L二宮、石田
出発(5:15)― 下部岩壁取付(8:40)― 上部岩壁取付(13:30)― 横岳稜線(14:35、下山開始15:00)― 地蔵尾根分岐(15:30)― 行者小屋(16:05)― 赤岳鉱泉(16:55)
(記 石田、敬称略)
当初、二宮、石田、佐藤の3人のパーティーだったが前日に二人に変更。前日と同じように3時に起床、ヘッドランプの明かりを頼りに出発。
石尊稜や日ノ岳の方へと伸びている沢(ガイドによると「右俣沢」)にかかる橋を越えて5分ほど進んだところにある、L字型の道標地点を左に入る。前日から降り続いた雪は10cm以上積もっていたが、我々よりも早く入ったパーティーがいたらしく、道標地点からずっとトレースがついていた。そのトレースをしばらく辿るが、二宮は12月に取付を間違えた経験から、途中で進行方向を右寄りに変更。そのまま尾根(中山尾根)を登りつめる。道を間違えていることに気がついたのは、中山尾根の樹林帯がきれはじめるあたり。仕方なく登ってきた道をしばらく引き返し、沢の方へ下る。沢に出るとトレースがばっちり。そのトレースを進んでいくと、前方に三叉峰ルンゼパーティーがいた。
石尊稜へは、三叉峰ルンゼを少し詰めて稜の左側から取付くか、二又に分かれた沢を右に進み、右側から取付く方法がある。我々は、右の沢から取付く。下部岩壁の下の緩いスラブは、胸くらいまでのラッセル。やむなく左にトラバース気味にルートを変更。尾根筋へ出たところでアイゼン装着。左を見ると、三叉峰ルンゼパーティーがF1を登ったところ。向こうもラッセルが大変そうだ。
下部岩壁の取付点にはペツルが2つ。そこでセルフをとり、二宮リード、石田ビレイで登攀開始。1P目、傾斜はそれほどでもないが岩に雪がついており、ホールド、支点を探すのに多少手間取る。取付のしっかりした支点に比べると、ほかの支点はやや心許ない。しっかり探せば見つかるのかもしれないが。もっとも苦労したのはこの1P目。あとは順調に進む。ただ、岩は基本的に脆く、崩れることも何度かあった。これは石尊稜の岩全体にいえることだろう。
下部岩壁から上部岩壁までの稜線歩きは、結構長く、何度かザイルを出すような岩稜もあった。ラッセルもあり、数時間歩いてやっと上部岩壁直下に抜け出る。
天候は徐々に回復しており、ガスの切れ間に横岳西壁南部が一望できる。
上部岩壁は下部岩壁に比べると傾斜もゆるく、ホールドもしっかりしている。2P目は石田リードで登る。最後のリッジを左に越えると、歩きやすい凹角。そこを詰めると縦走路のロープが見えた。潅木で確保し、終了。地蔵尾根経由で下山。
暗くなる前に天幕着。道を間違えてスタートは大きく遅れたが、ラッセルなどがあったことを考えれば、全体のペースは悪くなかったのではないかと思う。
三叉峰ルンゼ
L悉知、柄沢、榎田、岡本
出発(5:20)― 右俣沢入口(5:30)― ルート間違い発覚(6:00)― 右俣沢
入口(6:10)― 登山道道標地点(6:20)― 右俣沢左岸の支流(6:35)― 小同心ルンゼ出合(6:40)― 三叉峰ルンゼ・日ノ岳ルンゼ分岐(7:10)― 三叉峰ルンゼF2(9:30) <TRでアイストレーニング> 撤収(13:40)― 石尊稜下部岩壁下(14:00)― 日ノ岳ルンゼ(14:30)― 右俣沢入口(15:15)― 赤岳鉱泉
(15:20)
(記 榎田、一部敬称略)
3時起床5時出発が今合宿のリズムである。いつも通りヘッデン をつけながら中山尾根方面へ向けベースを出発した。
10分ほど歩いて最初の橋より沢に入りつめていくことにする。前日この場所を通ったとき石尊稜に行くと思われるトレースがしっかりついておりこの日も少し埋もれていたがトレースはしっかりしていた。柄沢先頭にトレースを詰めていく。途中、柄沢、榎田、岡本で地形図を確認しながら詰めていくが間違いに気づかず、結局シッチさんの指摘があるまで30分ほど沢を詰めてしまった。沢上流に向かって右手に尾根がありどうやら一本沢を間違えたようだ。橋まで戻ることにする。ガイドブックには中山乗越に向かう登山道が途中90度に曲がる個所(道標あり)より沢に入るとあるがそれを無視して勝手に石尊に入るトレースだと信じた結果が今回の失敗の原因であった。
道標まで行くと林に沿ってトレースがついていた。強引に林を抜けることも考えたがまずは様子を見ながらトレースに沿って歩くことにする。10分ほど歩くとトレースは90度に右に曲がり中山尾根に向かうようになる。さすがにこれは間違いであると思いこのあたりから林を抜け沢まで下りることにする。
沢に下りて5分ほど詰めると小同心ルンゼ出合にでる。---11月の会山行ではこの出合にある正面の尾根が石尊だと思い込んでいた。結果、無名峰南稜にあがることになったのだが---
小同心ルンゼ出合を見送って沢を詰める。30分ほどで三叉峰ルンゼ・日ノ岳ルンゼ分岐にでる。一本ここでいれるが、シッチ、榎田の二名が体調不良を訴える。息がきれ気分がすぐれない。2人とも同じ現象がおきていた。後で分かったことだが、この日は遠藤も体調不良だったらしい。
3人とも終始火のそばにおり一酸化炭素中毒になったと考えられる。
三叉峰ルンゼにはトレースがなくここ数日は人が入ってないようだった。体調不良の2人を除いて柄沢、岡本でラッセルをし、ルンゼをつめていく。途中、傾斜の関係もあるが頭までのラッセルとなりひどく時間をくってしまう。
F1は下部が雪に埋もれていた。埋もれている部分を考えても5mぐらいの小滝である。ここはノーザイルでみんなすいすいと抜ける。小滝をぬけると三叉峰ルンゼ核心のF2(20m)大滝が現れた。ラッセルが腰ぐらいまであるのと体調不良の人間がいるため今回はこのF2を登ったところで引き返すことにする。
F2は完全に凍っていたが、一部滝の裏が見えるほど氷が薄くあまりいい状態ではなかった。岡本リードで登る。途中1回フォールしたがアイススクリュー7本をうってぬけ、トップロープを設置。完全な垂直の滝で腕がパンプしながらもみんな今期初のアイスを楽しむ。
我々がF2に取り付き始めたころ、すぐ近くに石尊パーティーの二宮、石田を確認。彼らも下部岸壁に取り付くところであった。小原パーティーとは、ルンゼの中のため、終日交信できず。
F2を、それぞれ3、4本登って撤収。石尊下部岸壁のある尾根までいったんあがりそこから尾根を下る。帰りは今朝の間違いを探るべく沢を忠実に下ることにする。小同心ルンゼも見送りどんどん下る。そのうち右から入る沢と合流するころ今朝渡ってきた橋を確認。結局、橋から沢に入ってわずか50〜60mのところで自分達は間違ったルートにいってしまったことが分かった。
しかしながら、ルンゼは大きな岩だらけ。時間もかかれば体力も消耗する。石尊稜(三叉峰ルンゼ)に入るにはやはり橋を渡って最初の道標付近から林を強引に抜けて沢におりてつめていくのがベストであると思われた。
体調の優れないシッチ、榎田の2人はへろへろになりながらベースに到着。ビールを一缶だけ飲んで休養した。
硫黄岳
L小原、佐藤、若井、遠藤
出発(5:25)― 大同心取付(7:45、出発8:05)― 硫黄岳への分岐(9:00、出発9:20)― 赤岩の頭(10:55、出発11:00)― 硫黄岳(11:25、出発
11:30)― 硫黄岳山荘(11:55、出発12:40)― 硫黄岳(13:05)―
赤岩の頭(13:25、出発13:30)― 赤岳鉱泉(14:30)
(記 佐藤)
硫黄岳へ向かうルートは、前日の雪の為、自分達の踏み跡が初めてつく形での出発となる。
遠藤くんを先頭にし膝下くらいの軽いラッセルをしながら歩いていく。登山道になっているところは、いくらか他よりくぼんでいるので分かりやすいが、所々不明瞭なところもある。暗い中、初めての先頭ということもあって、遠藤くんは時々不安な様子で進んでいるように見えた。
すぐに、右方向へ曲がり、道は登り始めてきた。しばらくすると稜線を歩く道となってくる。
私は以前、硫黄岳に行ったことがあったが、確か山腹を登る道がひたすら続くと記憶していた。不安になり、小休憩の際、途中で山腹へ入る道を見逃してないか少し戻り確認する。それらしき道はないようだった。冬期ルートもあるとのことなので、そうなのかと納得し歩いていく。
私が先頭を歩く順になった。稜線をたどる道はどんどん急になっていったが、やはり依然歩いたことのあるルートとは違うと確信してきた。いったいどこから硫黄にたどりつくのかだんだんと興味が出てきた。また、もし硫黄でなくてもどこにでるのか、楽しみになってきた。稜線から時折栄見える両側の山腹はどちらも急な斜面で、そこに通常のルートがとられるものだろうかと思い進んでいった。
明らかな稜線をたどる道の前に大きな倒木が現れ、左にも正面にもルートが取れるような気がする。不安になり、先頭を若井くんに交代してもらう。
前方にはガスがかかり何も見えないが、しばらく進んでいった後、一瞬ガスが晴れるとそこには大きな岸壁が見えた。大同心だった。
ルートは出発してすぐに間違えていたようだったが、間近で見る大同心は迫力だった。
得した気がした。一休みの後、右へトラバースする道へ取り付こうとしたが、現役3名がアイゼンワークもままならない状況だったので、下山し、再度硫黄へ登ることとなった。
下へ降りると、遠藤くんが体調不良となり、3名での再出発となる。
硫黄岳までの登りは順調だったが、稜線まで出ると、風が強く、赤岩の頭と頂上の休憩で、また手が痛くなり始めてきた。気持ち悪くなるほどの痛みで、早く戻りたいと思い始めてきた。またも小原さんに戻りたいと願い出る。ダメだとのことで、とりあえず硫黄小屋まで行く。
小原さんの決定で戻ることに決める。少し落ち着くと、せっかくの小原さんとの行動、若井くんは初めての会での冬山。なんとか我慢さえすれば、行けるのではないかと思い始めてきた。問題は手だけ。小原さんにエベレストでの凍傷の話を聞き、自分に勇気を奮い起こさせた。若井くんが行きたいのなら、頑張ろうかと。3人でしばらく話した後、タイムオーバーでもとの道に戻ることに決定した。前日に引き続き私のせいでの敗退となった。今日の行動自体の達成感はあったが、また皆に迷惑をかけてしまった結果となってしまった。今後に大きな課題を残すこととなった。
1月2日(日) 快晴 ※夕、若井下山
小同心クラック
L悉知、榎田、石田
出発(5:15)― 小同心基部(7:20、登攀開始7:35)― 稜線直下岩稜取付(10:00)― 横岳山頂(11:10)― 硫黄岳登山道分岐(12:25)― 赤岳鉱泉(13:25)
(記 石田、敬称略)
テントを出たときから快晴、無風の状態。満天の星を見やりながら出発。大同心沢から大同心稜に入り、夜明け前には樹林帯を抜ける。目の前には大同心、小同心。ここでアイゼン装着。夜明け直前の稜線が非常に美しい。
大同心基部まで詰め、そこから小同心基部に向けてトラバース。何箇所か危険と思われるところがあり、ルート取りをどうしようか迷っていたところ、トレース発見。どうやら動物の足跡のようだが、非常にいいコースをとっているので、基本的にそのトレースを辿るようにして進む。小同心基部についたころ、ようやく陽が当たり始めた。
悉知リードで登攀開始。ガバが多く、傾斜は90度もないので、3人とも苦労せずに登る。いちばんの敵は、寒さ。快晴で風も殆ど無いとはいえ、ルートはずっと日陰で、岩は冷たい。
1P目終了点は、3〜4人がなんとか立てるテラス。取付からここまで支点は2つだった。2P目はクラックに沿って登る。終了点近くは少し狭くなっているが、ホールド、スタンスも安定しており、気持ちよく登ることのできるチムニー。風も当たらないので、パーティーの表情にも余裕が見える。3P目の核心は、出だしのクラックの乗越し。体が通らない幅ではないので苦労するようなところでもないのだが、高度のせいか緊張感がある。これを越えると、あとはスラブ登りのような感じ。支点はないが足だけで登れるような場所なのでさほど気にならない。登ってみれば、下から見上げたときの不安の大きさの割には、意外に快適に登ることができた。ただ、これは冬山にしては珍しい好天に恵まれたことも大きい。気象条件によっては、今回のようにすいすいと登ることは難しいだろう。
クラックを抜けた後、10分ほど雪稜を歩くと、横岳山頂直下の岩稜。壁、という感じではないが、一応ザイルを出す。榎田リードで登攀。冬の岩稜初リードを記念して、ハーケンを2本。横岳山頂で榎田がビレイをし、悉知、石田の順に登って終了。山頂からの眺望はすばらしいのひと言。360℃のパノラマを眺めながら、お疲れさまの握手。冬、稜線に抜けて余韻に浸ることができるなんて、初めての経験ではないか。
硫黄岳経由で下山。さすがに横岳〜硫黄岳の間は風が吹いた。しかし、普段のこの場所の強風に比べると穏やかなものだろう。下山は、殆ど陽だまりハイキング状態。天幕に着いたのもいちばん早く、2番目のパーティーが帰ってくるまでに、もう麦酒一缶は空になっていた。
阿弥陀岳北稜
L二宮、佐藤、若井、遠藤
出発(5:20)− 行者小屋(5:51、出発6:10)― 中岳のコル(7:24)―
北稜取付※ジャンクションの下(7:54)― 岩稜ルート合流点(9:46、出発10:10)− 阿弥陀岳頂上(10:25)− 中岳のコル(10:46、出発11:10)― 中岳山頂(11:24)− 文三郎尾根分岐(11:57)− 行者小屋(13:05)− 赤岳鉱泉
(13:30)
(記 佐藤)
今日は前日までとは違い、澄んだ晴れた朝となった。前日まで、中堅までのメンバーに遅れをとる準備となったため、急いで朝の出発の準備に取り掛かる。それでも、出発は一番最後になってしまった。今日の行動で精一杯頑張ろうと心に決める。
中岳沢を登り始めるとすぐに、後ろの山々が赤く染まり出した。久しぶりに見たモルゲンロートだった。寒くなるのはわかっていたが、足をとめしばらくその美しい景色に見入っていた。今日は八ヶ岳のどこも良く見える。別パーティーもきっとこの美しい景色を見ながらこれからの厳しい登りに新たな決意をしている頃だと思った。
中岳のコルまで行き、北稜への取付を探す。もうすでに先行パーティーがいるようだった。踏み跡を発見する。
北稜の取付に到着する。さらに下から北稜に入っていた3人パーティーに先を越される。上を見上げれば、急に思える稜線も雪があると登りやすいようだ。天気もいいことから気持ちよく登っていく。
しばらくすると、岩の露出したところに来た。先ほどの先行パーティーはザイルを出して登りはじめる様だった。1名が新人だったため、訓練でザイルを出すとのこと。先行パーティーが上り終えるまで30分ほど待ち、私たちの番となった。約5メートルほどの登りは慎重にさえすればザイルの必要の無いところだった。私は何とか登り、遠藤くんと若井くんは前日までに先輩方に教わったことを教えあいながら、登ってきているようだった。
次からが本当の取付きらしく、5メートルほどの岩場があり、先行パーティーが取付いていた。私たちはその左側を巻くことになった。実際登れたかは別として、登ってみたいと思わせるルートだった。
左側は小さなルンゼとなっており、4人で交代してのラッセルとなる。遠藤くんはラッセルをしてみたかったというのもあり、二宮さんにコツを教わりながらも、パワー全開の破壊的ラッセルだった。そこからは、しゃくなげや時々生えている木にしがみついての登りとなり、遠藤くんが「人生最大の危機」を経験したと表現したその場所は、私にとってもこのルートでの最大の恐怖のポイントとなった。
遠くのほうからは「うーんりょ!」のコールがかかっている。どちらのパーティーからかは分からなかったが、硫黄からこの阿弥陀まで弧を描くように続いている稜線の中に私たちの仲間たちが頑張っていることを感じて、強い一体感と幸福感を味わった。もっとも、当パーティーが人生最大級の危機を味わっている最中だったため、返事はできなかったのだが…。
やっと終了点にでる。右を見ると、先ほどの先行パーティーも登り終えたらしく、少し長い休憩をとっているようだった。ほっとする時ではあったが、私もできればそのパーティーのような充実感を味わえるようになれれば、もっと鍛えなければ、と思った瞬間だった。
頂上へ行くと、富士山から南アルプス・北アルプス、ほかの山々が一望できた。それぞれの頂上にいる登山者がお互いに頂上を指差しあっているのだろうと思った。一番好きな時だった。
帰りには前々日のルートを確認するために文三郎道から下った。
二日前、苦しんだと思ったルートにも取付いている人がいる。ルートも明らかになった。敗退を願い出て皆さんに迷惑をかけた私が抱いていた疑問を解明させるために二宮さんがとってくれた、予定に無い下山ルートだった。合宿に来て、迷惑ばかりかけていて、それを毎日悩んでいたことまでも全て払拭してくれたようだった。自分自身ではあまりいいとは言えない結果に終わった合宿だったが、これを生かして今後、頑張っていこうと思った貴重な一日だった。
石尊稜
L岡本、柄沢
出発(5:10)― 登山道道標(5:30)― 小同心ルンゼ出合(5:45)― 三叉峰ルンゼ・日ノ岳ルンゼ分岐(6:00)― 日ノ岳ルンゼ左上地点(6:15)― 下部岩壁取付(7:00)― 上部岩壁取付(10:30)― 稜線(11:30)― 上部最終岩壁を登り直す― 稜線(12:20、下山開始12:55)― 地蔵尾根分岐(13:25)― 行者小屋(14:00)― 中山展望台(14:15、出発14:55)― 赤岳鉱泉(15:15)
(記 柄沢)
朝食を終えて身支度を整え、テントを出ると星空。風もなく、気持ちのよい日になることが予想された。悉知リーダー率いる小同心隊を送り出し、すぐに僕ら石尊稜隊が出発。リーダーは岡本。小原も行く予定だったが、膝の不調のため辞退となった。テントを出て右と左に分かれて出発していく様は、定着山行ならではの光景だ。
石尊稜の取付は、前日の三叉峰のときに再三確認している。赤岳鉱泉を出て行者小屋に向かう最初の橋を左に曲がって沢を詰めるのではなく、まっすぐ進み道標を超えた50m先を左に抜け、石尊へと続く沢へ直接出る。しばらく行くと小同心ルンゼ出合の二股となる。左へ行くと無名峰南稜へのアプローチとなるので、右へ進む。もうひとつ二股が出てくるが、ここを左に行くと三叉峰ルンゼ、右へ行くと石尊稜だ。
この分岐で小休止する予定だったが、トップを行く柄沢が見過ごし(!)、石尊稜のふもとに入ったところで休憩した。ヘッドランプを外し、アイゼンをつける。岡本がコンタクトを落としたので、予備を装着。見上げると、赤岳に朝陽が射し、側面が明るいオレンジ色に光っていた。
トレースに沿って1時間弱登ると、下部岩壁に到着。斜度は、昨日の三叉峰のバーチカルに目が慣れているので、そんなに立っているようには見えない。岡本リードで登攀開始。
ピンが非常に見えにくく、ルートをどうとればよいか、下からはわかりにくい。ビレーしながら岡本の動きを追う。下部岩壁の1P目が核心と言われているが、慎重に危なげなく登って行った。自分はセカンドで、着実に登る。振り返ると雲のない空に中央アルプスの山々が一望でき、実に気持ちよい。後続パーティーが見えた。
短く3Pに切ることにし、2P目はリード交代。そんなに難しくない斜面だったが、ピンがなかなかない。木でランニングをとる。最後のところを乗越すのに勇気がいり、時間がかかる。バイルを突き立てて両手をかけ、思い切りよく足に体重をのせて登った。乗越したところのピナクルでセルフビレーをとり、リードを交代。ここで後続パーティーが追いついてきた。
3P目は難しいところはない。素直に登って行けばすぐだが、岡本がルベルソを落としたという。5分ほど、登っては下りて探すが見つからない。残念。登り切ってザイルを一旦しまい、トップを柄沢に交代。先に行って振り返ると、なんと岡本は後続パーティーに「ルベルソ落ちてませんか?」と尋ねていた。ちょっと恥ずかしかった。
ここから先、上部岩壁まで稜線をノーザイルでぐんぐん登る。思ったより斜面が急で、息が上がる。
10時の定時交信の時間となり、岡本が無線を取り出す。阿弥陀北稜パーティーの二宮さんの交信が入った。感度は良好。ところが、相手方の無線機のトークボタンが押しっ放しになっているため、こちらから交信できない! 「なんだよ、二宮さん、こっちは聞こえてるのに話せないよう」なんて笑った。小同心パーティーとは連絡とれず。
稜線歩きの途中、なんども岡本が雲稜コールをしていると、阿弥陀から二宮さん、小同心から悉知さんのコールがはっきり聞こえた。八ヶ岳にこだまする雲稜コール。あいつらも頑張っているんだなあ。ドラマチックに気分が盛り上がる。岡本注:後で聞いた話によると、実は、全ての返事は小同心パーティーからのものだった(-_-;)
急峻な斜面をキックステップで登り続け、上部岩壁手前の岩稜でザイルを出す。ホールドがやや悪い。また、ピンの位置がどうもわかりにくい。やっぱり本番の岩場だ。自分でルートを探して登ってみるまで、ピンなどあてにしてはいけないということか。岡本リードで2P登る。自分はバイルを駆使して、慎重に登る。
トップを交代し、ザイルをつないだまましばらく行くと聳え立つ上部最終岩壁が見えた。石尊峰がどれかわからず、トレースも見えづらい。「取り付き点は左側のあそこかも」と思いながら右に右に斜面のゆるいところを登って行くと、稜線の登山道のロープが見えた。こっちではなかった。まだ時間があるし、せっかくなので上部岩壁に登りたい。取付点まで下りて、リードをさせてもらうことになった。
上部取付点の1P目は、チムニーっぽい溝を登っていくところだった。出だしのピンにカラビナをかけて登り始めたが、その後全然ピンがない。溝を登り切って左上に見えるバンドがルートと思われるが、そこに行くまでかなり立っている壁がある。ピンをとっていないので、落ちたら間違いなくグランドフォールしてしまう。怖い。右に行った方が、やさしいのではないか。
「おーい、ここはちょっと無理そうなので、右にルートとるよ。ピンが全然ないよ」
「わかった。そんなに無理しなくていいからな」
右にルートをとってすぐのところのピナクルでひとつカラビナをかけ、さらに右に。こちらも立ってきたが、ホールドとスタンスはありそうだ。時間がかかったが、バイルを岩の隙間に突き刺し、アイゼンを効かせて登る。ビレーする岡本からは無理をしているように見えたらしく、珍しくやさしい言葉をかけてくる。でも、行けると確信して登った。
斜度のゆるいところに出て、ピナクルでセルフビレーをとる。40mほど登ったか。岡本に上がってもらう。明らかにルートを外れたのはわかっていた。足場は岩と石がごろごろしていて、落石しやすい。ここは登られていないということだ。
そこから稜線まではすぐで、一応ビレーして登る。12時20分、稜線に出る。石尊峰山頂にある仏に向かって、10mほど右側に出た。本当のルートは、仏の左側もしくはすぐ裏だろう。
山頂は、新年から、素晴らしい晴天と360度見渡す限りのパノラマだ。南アルプス、中央アルプス、北アルプス、甲武信ヶ岳、富士山などの山並みがばっちり見えた。無風のため、太陽光があたたかく感じる。ここでぜいたくに30分休憩し、地蔵尾根を八ヶ岳の山並みを見ながらゆっくり下った。
追記。
下山中、時間があるので中山乗越から中山展望台に寄った。八ヶ岳の全景を前にして、合宿中に登ったルートを目で確認したのだ。これがなかなかよい勉強になった。時間があるときは、こうして全景を眺めるのもいいだろう。
1月3日(月) 快晴
下山
L悉知、SL石田、柄沢、榎田、岡本、佐藤、遠藤、小原、二宮
起床(6:00)― 出発(8:45)― 美濃戸口駐車場(11:05)
(記 岡本)
最終日の朝、皆、最後の天幕食にラーメンを食べた。麺の硬いうちに盛り付けをしたため、食べごろのおいしい麺を食べることができた。思えば、今回の食事はどれもよくできていた。米の時は多少芯が気になったが、酒にもつまみにも贅沢な差し入れがあり、充分に食宴を楽しんだように思う。食当の柄沢とOBの方々に感謝。
また、不思議なキャラで笑わせた男にも感謝。新人の遠藤は柄沢を凌ぐ笑いを提供してくれた。帰り支度も済んだ頃、遠藤を見ると、片脚にしかスパッツがついていない。よく見れば、なんと、片方の脚にスパッツを重ねてつけているではないか! 終始よく働いた遠藤だが、最もありがたかったのは笑いの提供だったと、今でも思っている。
赤岳鉱泉を出発するとき、八ヶ岳の白い峰々がコバルトブルーの空に映えていた。
皆、快晴の八ヶ岳を振り返りながら、口々に「あれが石尊で、あれが小同心で……」などと反芻し、しばらく脚を動かさなかった。それぞれにいろんな思いがあったのだろう。隊は後ろ髪を引かれつつ、赤岳鉱泉を後にした。最後の方で、佐藤が遅れ気味になったが、本人は体力不足をわかっているようだし、ま、これは仕方なし。今後の課題としよう。
美濃戸口で車に乗り、帰りがけに、温泉と里の食事で無事の合宿終了を祝った。
不安だらけ、失敗だらけの冬合宿だったが、終わってみれば、皆、清々しい顔をしていた。
来年度は、もっといい顔をしてやるぞ!と、全員が思ったことを信じている。
総 括
■SL石田
今回は、赤岳鉱泉にBCを構えての定着型の冬合宿だった。このような形態での冬合宿は、私が入会してからは初めてのことなので、少なくとも過去5年間は行われていなかったことになる。
久しぶりに行われた定着型の冬合宿は、結果的には参加メンバーのレベル向上に効果的だったと思う。各人それぞれのレベルに合わせて、多様な計画が立てられるからだ。悉知リーダーは、今回それぞれ参加メンバーの現状レベルより、やや上を意識して山行計画を立てたそうだが、それでも計画通りに登ることのできたパーティーが多く、今後のステップアップのいい踏み台になる可能性は大きいだろう。
反面、定着型を選択することによって、経験できないこともある。今回は、水作りの必要はなかったし、毎日凍ったテントを撤収するようなことも無かった。荷物も合宿にしては軽かった。そういう意味では、楽な部分は多かったように思う。必ずしも合宿でやる必要も無いのだが、いろいろな経験は技術に結びついてくるので、どこかでフォローが必要だろう。
山行に関して反省すべき点は、道の間違い、地形の読み違い。準備会で、吉川さんが「地形を読むことができるように各自きちんと研究すること」と宿題を出したが、それにも関わらずルートを間違えるパーティーがいくつも出た。冬山でのルートの誤りは致命的だ。事前の研究、そして実際に地形を見て確認する、という作業をもっときちんと行っていかなければならないだろう。
最後に、OBの方々の協力に感謝したい。これだけ様々な山行を行うことができたのは、OBがときには引っ張っていってくれ、ときには裏方でサポートに回ってくれたおかげだ。裏を返せば、まだまだOBに頼らざるを得ない現役の現状がある。今回もいくつかのパーティーではOBの方にリードで登ってもらったが、本来は現役がすべきところだろう。もっとOBに楽をさせてあげられるように、(もちろん私もそうなのだが)現役会員は「中核」として、経験を積み、技術を向上させていくことが望まれる。
■ L 悉知
今年の冬合宿は、暦の関係上、長期の休みが取りにくいため八ヶ岳に決まった。八ヶ岳は、新人の訓練や厳冬季の雪稜を体験するには理想的な山である。
参加者は、新人2名と中堅5名およびOB3名と私の11名た。なかなかバランスの取れた良いメンバーになった。日数が5日間(平成16年12月30日〜翌年1月3日まで)と限られているので、出来るだけ中身の濃いものにしようと、一人一人メンバーの顔を思い浮かべながら様々なルートを考え計画書を作成した。
計画書の目玉は、初日の中山尾根と中日の石尊稜そして最終日の小同心クラックである。メンバーには、雪壁の厳しさを中山で、ルートファインディングの難しさを石尊で、雪稜の楽しさを小同心で体験してもらおうと計画した。もちろん、新人にもそれぞれ課題をちりばめたルートを設定し、冬の八ヶ岳の厳しさや楽しさが体験出来る様に計画を練った。サブLには面倒見が良い石田君に、食当にはこだわりの多い柄沢君に、装備には岩登りが慣れてきた榎田君に、会計には少し大人になった佐藤君に、記録にはワルだけど仕事は熱心な岡本君にお願いした。
この5日間を通して、荒れたのは二日目だけで、天候には恵まれた。怪我人もなく全員無事に下山できたのは、各人がやるべきことをしっかりとやったからだと思う。
もちろん天候やアクシデントのため計画通りには登攀できなかったチームもある。敗退も一つの選択である。多分、敗退を選択したメンバーは、もがき苦しんで何かを得たと思う。それはそれで貴重な経験になったことだろう。
これだけ充実した山行ができたのは、一人一人の努力と毎朝3時起き5時出発が徹底できたからだと思う。冬山での鉄則は、早起きと汗をかかないことであることに皆にも理解できたと思う。
今回、只一の反省点は、初歩的なミスでリーダーである自分が、一酸化炭素中毒になってしまったことだ。テント生活の基礎を怠ったのが原因だった。このことは、皆も教訓にしてもらいたい。
最後に赤岳鉱泉小屋の前に「東京雲稜会」のネーム入りの10テンを張れたことは、ちょっとした自慢だった。現在、これだけ大きなテントが張れる社会人山岳会は、滅多に無いと思う。多分、我々の会ぐらいだろう。これからも、皆ガンバッテ山に行こう!
付録